[オペラ] プッチーニ≪トゥーランドット≫ 二期会

[オペラ] プッチーニトゥーランドット≫ 二期会 文化会館 2月26日

(写真↓は舞台、レーザー光線?が交錯する舞台が美しい、下の写真の中央の金色円形の中がトゥーランドット姫、その下がカラフ王子)

ダニエル・クレーマー演出で、音楽は、アルファーノ版ではなく、第3幕ベリオ補筆版。チームラボによる舞台照明が見事だった。トゥーランドット姫(土屋優子)も声量など非常な迫力があり、とてもよかった、原作でもこういうキャラなのだろう。とにかく可愛いお姫様であってはならないのだ。しかし≪トゥーランドット≫は、プッチーニが未完成で死んだこともあり、物語の終り方が釈然としない。2019年に新国で見たアレックス・オリエ演出では、最後、突然トゥーランドット姫が自殺して幕切れという終り方だった。その時は驚いたが、あれはあれでよかったのだと思う。今回の舞台は、姫とカラフ王子は「めでたく」?結婚する幕切れになっているが、やはり不自然な感じがする。もし、最後に姫が心変りして王子と結婚するならば、女奴隷のリューが二人を結び付けたことが、はっきりと見て取れるようにしなければならないと思う。でも舞台を見ている限りでは、それが分からない。(写真↓はジュネーブ上演だが、左から、皇帝、カラフ王子、トゥーランドット姫)

しかし今回の上演で、私は≪トゥーランドット≫に関して新しい認識が得られた。プログラムノートで演出のクレーマーが丁寧に論じているが、この作品は基本的にフェミニズムなのだ。姫が求婚者たちに難問を出して答えられない求婚者たちを殺す話は、昔からたくさんあるが、それは女性が男性に支配されてきたことへの抗議であって、姫は本当は誰とも結婚したがらないのであり、それには積極的な意味があるのだ。そのような文脈で見れば、「冷たい姫」と言われるトゥーランドットにも共感できる。またカラフ王子の「異邦人性」が作品で何度も強調されているが、これは、男は女にとって最後まで理解できない動物であるということを意味している。プッチーニの最晩年、第一次大戦後のイタリアでは女性が多くの職場に進出して、女性の地位が大きく高まったが、それがこの作品のフェミニズム的性格にも反映しているのだ。(写真↓は、ピン・パン・ポンの一人と姫)

映像がありました↓。美しい舞台が見られます。

チームラボ / teamLabさんはTwitterを使っています: 「チームラボがセノグラフィー(空間演出)を手がける没入型のオペラ『トゥーランドット』新制作が、2月23日、東京文化会館で開幕。ジュネーヴでのワールドプレミエで「真の総合芸術」と評された舞台が東京へ。 https://t.co/TLTazE1Asy https://t.co/ZmubBva2P7」 / Twitter