[演劇] 宮本研『ブルーストッキングの女たち』

[演劇] 宮本研『ブルーストッキングの女たち』 新国立劇場 3月1日

(写真↑は、終幕、左から、虐殺される直前の大杉栄[安森尚]、野枝[伊海実紗]と、甘粕憲兵大尉[宮津侑生])

新国立劇場演劇研修所第16期生終了公演、俳優は22歳~25歳くらいが中心、とても瑞々しい熱演で、すばらしい舞台。『ブルーストッキングの女たち』1983は初見だが、『美しきものの伝説』1968と完全に同じ主題の作品なのだと知った。堺利彦が出てこないだけで、あとの登場人物はほぼ『美しきものの伝説』と同じ。ただし、野枝と大杉との恋および死を中軸に据えて、辻潤[都築亮介]、神近市子[米山千陽]、平塚雷鳥[越後静月]などの恋愛関係を大きくクローズアップしている。葉山・日蔭茶屋での神近の刃物沙汰の大立ち回りも、舞台にそのまま登場(まるで歌舞伎みたいだった)。(↓左から画学生の奥村博[雷鳥の恋人]、荒畑寒村雷鳥、野枝、市子)

『ブルーストッキングの女たち』は、恋愛を中心に描かれており、社会運動よりはむしろ文化・芸術という契機に比重を置いている。そもそも平塚明子(雷鳥)は、高級官僚の娘で、恋多きお嬢さん、文学少女だった。「青鞜」(=「bluestocking」の生田長江による和訳)を発行したのは、彼女が駆け落ち心中未遂した森田草平漱石の弟子だったことからも分るように、文芸雑誌としてだった。そもそもbluestocking societyとは、イギリスの上流女性たちの文学サロンの名前である。「青鞜」創刊号の表紙は長沼智恵(のちの高村智恵子)だし、要するに、雷鳥が作った青鞜社は、まず何よりも、島村抱月松井須磨子などからも分るように、文学・芸術・演劇関係者のサロンだった。それに彼女たちの恋愛という要素が加わり、「新しい女の生き方」として日本のフェミニズムが生まれたのだ。雷鳥も野枝も事実婚だったし、彼らの主張した「自由恋愛主義」は、非常に真剣で真面目な思想であったことが分る。「自由恋愛主義」の「結婚」は、当時は嘲笑され、誰も真剣に受け取らなかったが、21世紀の初頭にはアメリカの哲学者エリザベス・ブレイク『最小の結婚』における「ポリアモリー」の主張として、思想的にも真正面から受け止められている。それほどまでに、彼らの思想は先駆的なのだ。この舞台をみて一番印象的だったのは、雷鳥、野枝、市子、大杉栄辻潤などが、愛の感情の深い人たちだということだ。人を好きにならずにはいられない人たち、恋多き人たち、キルケゴールは恋愛を「美的生き方」と呼んだが(『あれか、これか』)、宮本研『美しきものの伝説』の「美しきもの」とは「恋愛」のことなのだと思う。(写真中央↓は、再上京したばかりの伊藤野枝、17歳だが、才気溢れるミーハー少女だ)

上の二つの写真でも分るように、青鞜社は、誰もが明るく、楽しそうに仕事をしている。それがとてもいい。本当にそうだったのだろう。それにしても、野枝、雷鳥、市子、大杉、辻、抱月、須磨子といった人たちは、その一人一人が限りなく個性的で、何という魅力的な人たちなのだろう! 彼らが実際に出逢い、そこに小さなサークルができたこと、そこから新しい思想が生まれたことには、何か歴史的必然性があるように感じられる。演劇は、そうしたことを表現できるのだ。アリストテレスは、「演劇は、人間の生を、必然性のある可能態として再現(ミメーシス)する」(『詩学』)と述べたが、それを現実の舞台に見るのは何という喜びだろう!優れた演劇作品は、人が、今、そこにそのように存在するという、ただそれだけのことに一種の輝きがある。その輝きを見ることは我々のこのうえない喜びだからこそ、この世に演劇というものが存在する。今回の舞台はそれを感じさせた。(写真↓下は、中央が須磨子と抱月、そして二人が上演した劇中劇の「人形の家」、これは史実)