今日のうた(107)

[今日のうた] 3月ぶん

(写真は折口信夫1887~1953、国文学者、民俗学者として名高い、写真は1935年頃沖縄の首里城で撮られたもの)

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  • 下萌や土の裂け目の物の色

 (炭太祇17091771、「下萌(したもえ)」とは、冬枯れの中にも地面に緑の草が萌え始めること、たしかにそれは最初、少し離れたところから見ると、土に「裂け目」ができて、そこは周囲とは違う「物の色」になっているように見える) 3.1

 

  • 畑打つや中の一人は赤い帯

 (森鴎外、畑に種を蒔く前に土を耕すのが「畑打ち」、畑打ちしている何人かの一人が「赤い帯」を、女性なのだ、女性ももちろん畑打ちするだろうが「赤い帯」は珍しい、おしゃれなのか着換える暇がなかったのか、皆吉爽雨に「女もの脱ぎたゝみあり畑打」という句も) 3.2

 

  • はつ雛や老の後なる娘の子

 (左繡、作者は江戸時代の人、老いた自分には「娘の子」つまり小さな孫娘たちが可愛い、さあ、代々家に伝わる立派な雛人形を飾ったよ、ところで、私にも孫娘が二人います、ただし雛人形は3年前に贈ったガラスケース入りの小さなそれ、まぁ都心のマンションだから大きいのは無理) 3.3

 

  • もたれ合ひて倒れずにある雛(ひひな)かな

 (高濱虚子、雑に飾ったので、あるいは立てる支えが折れてしまったので、たまたまそうなったのか、それとも初めからそういう姿勢の雛人形なのか、どちらもありそう) 3.4

 

  • 木蓮の風のなげきはただ高く

 (中村草田男、「樹高の高いモクレンだが、せっかく美しい花が咲いても、春の強風ですぐ散ってしまう」、私の二階の書斎の窓はモクレンの樹と1m強しか離れていないが、もう白い蕾が開き始め、花になったのもある、何という暖冬) 3.5

 

  • たらちねの母に障(さは)らばいたづらに汝(いまし)も我れも事のなるべき

 (よみ人知らず『万葉集』巻11、「ばかねぇ、あなた、だめ、ここじゃ、ママに見つかるわよ、私たちの仲がぜんぶダメになっちゃうじゃん」、そう、太古の昔より、男の子はいつも事を急ぎ過ぎるのです) 3.6

 

  • 石間(いしま)ゆく水の白波立ち返りかくこそは見ゆ飽かずもあるかな

 (よみ人しらず『古今集』巻14、「石間を流れる谷川の水が、繰返し繰返し白波を立てるように、それほど頻繁に、僕たちもこうして逢瀬を重ねたいね、どんなに頻繁でも貴女に飽きるなんてありえない」) 3.7

 

  • 君来(こ)むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経(ふ)る

 (よみ人しらず『新古今』巻13、「あなたが「今夜は行くよ」と言った夜は、いつだって空しく待つだけだった、だからもうあてにしてないわ、とは言うものの、本当は待ってるのよ、毎日あなたを」) 3.8

 

  • つれなくぞ夢にも見ゆるさ夜衣(よごろも)うらみむとては返しやはせし

 (藤原伊綱『千載集』巻11、「夜の衣を裏返して着ると夢で恋人と会えると言うじゃない、だから僕は「裏見む」と裏返して寝たのに、夢の中に貴女はいなかった、貴女は「恨みむ」とでも思ったの」、どうも男の恋の歌はネチネチしたものが多い気がする) 3.9

 

  • 思ひ出づるその慰めもありなまし逢ひ見てのちのつらさなりせば

 (藤原季経『千載集』巻11、「いったん貴女と逢った後につれなくされるならば、逢ったことを思い出して慰められもします、でもひどいじゃないですか、そもそも僕に逢ってくれないなんて」、「逢ふ」の意味によっては身勝手な願望にも取れる) 3.10

 

  • 雑巾をはや掛けらるる接ぎ木かな

 (一茶『七番日記』、「美的観賞の目的で梅に接ぎ木をしたのに、もう雑巾を干してしまった」、貧乏な生活を詠んだ句、前と後の句に、「下手接ぎの梅もさらりと咲きにけり」と、「春雨や貧乏樽の梅の花」とある。) 3.11

 

  • 喰うて寝て牛にならばや桃の花

 (蕪村、「桃の花っていいなあ、今、桃の樹の下で花見をしながら、おおいに飲んで喰べてるんだ、このままここで寝ると牛になっちゃう? いいとも、桃の下で牛になりたいよ」) 3.12

 

  • 両の手に桃と桜や草の餅

 (芭蕉1692、三月に深川の芭蕉庵に二人の高弟、其角と嵐雪を迎えて歌仙を巻いた発句、桃と桜は時期がほぼ重なるように咲くことがある、この句では、桃と桜にそれぞれ其角と嵐雪が擬せられてもいる、友人への挨拶句を好んだ芭蕉らしい) 3.13

 

  • ゆく水や何にとゞまる海苔の味

 (榎本其角『花摘』、「水はすべてのものを流し去ってしまうのに、なぜ水中の細い棒に育つあの美味しい海苔の味だけは、水と一緒に流れ去らないのだろう」、『方丈記』冒頭をかすったので、俳諧の味のある句になった、江戸の人其角は海苔が大好きだったか) 3.14

 

 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、「バゲット」を買ったら「長いふくろ」に入れてくれた、その袋に「エッフェル塔が描かれている」ので、嬉しくて「真っ直ぐに抱いて」しまった、パリではなく東京だからこその話) 3.15

 

  • 家に在るときと違つてはればれとものいふものか草のあひだに

 (岡井隆、作者が妻と旅行した時の歌らしい、二人で「草のあひだ」を歩く、ふだん家では寡黙な妻が「はればれとものをいう」、「妻」は「家内」「奥様」などとも言われるが、自分の家では晴れ晴れとした気分ではないのか) 3.16

 

  • 来年はたぶん息子のをらぬ部屋ふと寝て二時間内緒で眠る

米川千嘉子、息子は高校三年生か大学四年生なのだろう、進学/就職によって来年はもう家にいない、母としてはちょっと寂しい、だから、息子のベッドでちょっとだけ昼寝をしてみる、もちろん「内緒で」) 3.17

 

  • ぺたんぺたん地をゆく鴨よ水上に空にあらねばぺたんぺたんと

 (伊達裕子「朝日歌壇」3月8日、佐佐木幸綱選、「飛ぶことと泳ぐことは得意だが、歩くことの不得意な鴨。歩く鴨を目で追跡するように表現したオノマトペに注目」と選者評) 3.18

 

  • 同じ距離行き来しているトラクター上り下りを知らす排気音

 (「東京新聞歌壇」3月8日、佐佐木幸綱選、「行き来を繰り返す仕事中のトラクターを遠望している場面。目では分らないわずかな傾斜が排気音[の違い]で分かるというのだ。耳だけが受けうる情報」と選者評) 3.19

 

  • にはとりの声裏返る戻り寒

 (物江里人「朝日俳壇」3月8日、高山れおな選、「寒の戻りに身震い。間の抜けた鶏鳴も寒さゆえかと聞きなされた」と選者評。私は、「声裏返る」という把握が素晴らしいと思う) 3.20

 

 (高橋まさお「東京新聞俳壇」3月8日、小澤實選、「マルチシートは畑を覆う資材。雑草が生えるのを防ぎ、雨で肥料や土壌が失われるのを防ぐ。郊外の春一番を描いた」と選者評) 3.21

 

  • 君発案一人一品制により主食溢れる花見になった

 (石井大成『角川短歌』2019年11月佳作、作者1999~は学生、友人と一緒に花見した、「君」とは彼女だろう、「君の発案で一人が一品を持ち寄ったら、おにぎり、サンドイッチなど、主食系ばかりのつまみになっちゃった」、昨日通った上野公園、桜は咲いたが「宴席禁止」で樹の近辺は厳重にブロックされていた) 3.22

 

  • 呼ばふとも甲斐なきものをひさかたのあめの光は花のうへに差す

 (上田三四二『湧井』1975、吉野山の桜を詠んだ歌群の一つ、桜を見ているうちに故人となった友人を思い出したのか、あぁ、彼と一緒にこの花を見られたらなぁ、と。「ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも」は、この歌の二つ前) 3.23

 

  • 桜の花ちりぢりにしもわかれ行く遠きひとりと君もなりなむ

 (折口信夫、作者は養子の折口春洋を戦争で亡くした、桜を詠んだ短歌には、悲しみをうたったものも多い、桜はどこか人の生と死を思わせるからだろうか) 3.24

 

  • 手をあげて此世の友は来りけり

 (三橋敏雄、これは花見の句である、作者は、何人かの親しい友人たちと毎年花見をしているのだろう、だが、その一人はもう「此の世」にいない、いつも手を大きく上げて「やあ」と明るくやって来た彼はもういない、花見になるとそれを思い出す) 3.25

 

  • 花の色もほのかに老木櫻かな

 (村上鬼城、我が家の近所のとても大きな桜の老木は、太く黒々とした幹だが、その先の枝は折れたり切られたりで意外に乏しく、花が満開時でも後方に青空が透けて、かなりスカスカな感じ、この句もそういうことだろう、「色もほのかに」がいい) 3.26

 

  • 夜櫻やうらわかき月本郷に

 (石田波郷『鶴の眼』、「上野公園」と前書き、JR上野駅から上野公園の桜並木を抜け、不忍の池に石段を降りて東大本郷キャンパスに行く道を私はよく通るので[今朝もこれから行きます]、この句はよく分かる、池が眼下に見えているのだろう、正面手前が池之端、その奥が本郷、まだ宵の口の「うらわかき月」がいい) 3.27

 

  • 万燈(まんとう)の裸火(はだかび)ひとつまたたける

 (橋本多佳子1939、春日神社と前書、二月の節分万燈籠だろう、「万燈」とは、寺社などの特別の行事のときに灯す、ものすごく多数の燈籠、どの「裸火」も炎がまるで生きているかのようだ、その一つが激しく明滅している) 3.28

 

  • 桃の花ぱっとめざめし夜明けかな

 (阿保恭子、作者は青森県俳人、桃の花の開花はずいぶん前後するようだ、近所の桃の花が咲き終わっているのに我が家の桃は今が満開、早朝起きの生活をしているので、この句はぴったりくる) 3.29

 

  • 春雪のにほひは花のごとくにて沈丁花(ぢんちやうげ)さくところいづこぞ

 (上田三四二『鎮守』、1986年の作、昨日は、3月末だが、埼玉県鴻巣市の我が家にも、淡いけれど降雪があった、でも残念ながら、昨年まで健在だった沈丁花は枯れてしまった) 3.30

 

  • 家々や菜の花いろの灯をともし

 (木下夕爾、おそらく日暮れ、だいぶ暗くなってきたが、家の周りの菜の花が明るく光っているのだろう、今年は桜が早いが、菜の花も満開だ) 3.31