今日のうた(145) 5月ぶん

今日のうた(145) 5月ぶん

 

佐保姫が俳句の種を播いてゐる (森木道典「朝日俳壇」4月30日、大串章選、「「俳句の種」を播くが言い得て妙。さすがは春をつかさどる女神」と選者評) 5.1

 

野球部の声出し係風光る (今泉準一「東京新聞俳壇」4月30日、小澤實選、「声出し係はおそらく補欠なんだろうが、それでも一生懸命声を出しているのがわかる。季語風光るの効果だ」と選者評) 2

 

就職で大阪へ行く前の晩兄貴はずっと「戦メリ」聴いてた (麻生孝「朝日歌壇」4月30日、高野公彦、永田和宏共選、「坂本龍一氏の訃報に接して蘇った「戦場のメリークリスマス」の旋律」と高野評) 3

 

潮風をわたしは息に変えてゆく丘を選んだ生きものとして (吉村おもち「東京新聞歌壇」4月30日、東直子選、「海の近くの丘で生活することを、そこに巣を作って棲息する野生動物のように捕らえている点がユニーク。土地に対する愛着や感触が新しい」と選者評) 4

 

下京の紅屋が門をくぐりたる男かわゆし春の夜の月 (与謝野晶子『みだれ髪』1901、俵万智の現代語訳「口紅の店から出てくるいい男、京都の春の月が照らせり」、男は強かったり権力・財力を持つ必要はない、「美しい男」こそ最高の男、フェミニストの晶子は早くからこう詠んだ) 5

 

力など望まで弱く美しく生れしままの男にてあれ (岡本かの子『かろきねたみ』1912、昨日の与謝野晶子以上に、はっきりと言っている、強い男ではなく、「弱く美しい男」こそ最高の男、まぁ雁琳さんとかはそこが分っていない、マッチョこそ最高の男と思っている) 6

 

放たれし女のごときかなしみをよわき男の感ずる日なり (石川啄木『一握の砂』1910、与謝野晶子岡本かの子も、マッチョではなく「弱い男」こそ最高の男と詠んでいた、一方、男の側にも、自分を「弱い男」とみなす歌人もいた、魚心あれば水心) 7

 

恋がたき挑むと言はれおどろきし弱き男も酒をたうべぬ (吉井勇『酒ほがひ』1910、「酒をたうべぬ」=「酒をいただく」、作者1886~1960は伯爵でもあった、祇園に入り浸った「放蕩の人」だが、自分を「弱い男」と自認している) 8

 

わが指は細く美し逢はぬ日は指を眺めてなぐさめとする (堀口大学「スバル」1910、作者1892~1980は詩人、歌人、フランス文学者、「恋人に逢はない日は、自分の指を眺めて、その美しさにうっとりする」、弱い男にもナルシシズムがある) 9

 

蝶々のもの食ふ音の静かさよ (虚子1897、実際には蝶々の「もの食う音」はしないだろう、作者はまったく動かずに、少し離れた場所から、花や果物に止まった蝶をじっと凝視している、その緊張感が「静かさ」なのだ) 10

 

娵(よめ)の燈がおなじ村より春の夜 (山口誓子『晩刻』1946、嫁入りは、燈火を灯して一定の人数が行列するのか、「今年の春のある夜、昨年の春のある夜と同様に、同じ村から嫁入りの行列がまた出てゆく、春の夜はいいなぁ」、誓子っぽく尖がっていない暖かい句)11

 

谷より幼な蛙きこえて山ざくら (飯田龍太1959『花眼』、「倶利伽羅峠越え」と前書、峠の光景なのだろう、谷間から「幼い蛙」の声が聞こえ(見えないはずだが声で分るのだろう)、稜線には山「ざくら」が咲いている、倶利伽羅峠は春から夏へ季節の変り目、空間を詠んでいる) 12

 

万緑や霧笛(むてき)どの窓からも入る (橋本多佳子1954『海彦』。「活水女学校」と前書、現在の活水女子大学、長崎湾を見下ろす位置にある、作者は外を歩いているのだろう、万緑の中、港の霧笛の音が明け放された窓から教室に入ってゆく、女生徒たちの顔も見えるのか)13

 

金色に茗荷汁(みょうがじる)澄む地球かな (永田耕衣『殺佛』1978、細く小さく切った黄色のミョウガが入っている「茗荷汁」、でも、それを美味いというのではない、味ではなく「金色に澄む」と視覚で詠み、「地球かな」と受けるのが見事) 14

 

大空やみなうつむいて桐の花 (原石鼎、作者1886~1951は「ホトトギス」の俳人、桐は薄い紫色の小さな花をたくさん付ける、美しいのだが、花は「みな下を向いている」、見ている人の心まで「みなうつむいて」いる感じになるのだろうか) 15

 

硯(すずり)の上水迸(ほとばし)れ思ひごと (石田波郷『風切』1943、硯の上で墨を磨ろうとしているが、水がうまく広がらずにまだるっこしい、思わず「ほとばしれ」と思ってしまう、「思ひごと」とは何だろうか、作句かそれとも手紙でも書こうというのか) 16

 

花ぐはし葦垣(あしかき)越しにただ一目相見し子ゆゑ千(ち)たび嘆きつ (よみ人しらず『万葉集』巻11、「花のように精妙で美しい君、葦の垣根越しに、たった一度だけ目が合った君、その後会えないことを僕は千回も嘆いているよ」) 17

 

伊勢の海に釣りする海人(あま)の浮子(うけ)なれや心ひとつを定めかねつる (よみ人しらず『古今集』巻11、「僕は伊勢の海で釣りをしている漁師なのか、だから浮きのように揺れて、心を一つに決められないのか、君に求婚しなければならないのに!」) 18

 

語らはむ人もなかりつ取り替ふと思ひしにやる扇なりけり (和泉式部『家集』、「私と一緒にいた貴方は、別の男性が来たのであわてて帰った時、扇を私のと間違えて持っていった、さあ取り替えましょう」、式部は二人の彼氏を掛け持ちしていたのだろうが、上手に取り繕う) 19

 

まことにや三年(みとせ)も待たで山城の伏見の里に新枕する (村上雅定『千載集』巻15、「僕から離れていった貴女は、山城の伏見の里に新しい男ができたと聞いたよ、三年も待たずに新枕したそうじゃん、僕のときと違うんだなぁ」) 20

 

尋ね見るつらき心の奥の海よしほひの潟(かた)の言ふかひもなし (藤原定家新古今集』巻14、恋人が離れていってしまったことを嘆く歌、学者ではあるが自分は深い感情をあまり詠まない定家にしては、いい歌と思ったが、『源氏物語』からの本歌取りだった) 21

 

胸の関(せき)袖(そで)の湊(みなと)となりにけり思ふ心は一つなれども (式子内親王『家集』、「貴方への思いは、私の胸の内にずっと留めていました、でも海の波が港の防波堤を越えるように、私の思いは胸の関を越えて涙として一部が外に出ました、一つしかない心なのに」) 22

 

俳諧の青梅なれば一つ盗(と)る (富安風生『米寿前』1971、奇妙でぶかっこうで珍しい形の青梅が幾つかあったので、一つ「盗った」のか、「採った」ではなく「盗った」と詠んだのも俳諧か) 23

 

波音正しく明けて居るなり (尾崎放哉『大空』1926、朝早く、作者はまだ室内で横になっているのだろう、波音が「正しく」聞こえている、そして窓の外はぐっと明るい、目が覚めたばかりの経験が、最小の言葉で十全に語られる) 24

 

どうしようもないわたしが歩いている (種田山頭火、死の年の自選句集『草木塔』1935より、絶句というのだろうか、このような句を前にしては言うことは何もない) 25

 

郭公や何處(どこ)までゆかば人に遭はむ (臼田亞浪1925、よほど奥深い山の中を歩いているのだろう、たしかにカッコーの声は、奥深い山中が似合う) 26

 

山かすみして奥瀑(ばく)のひびきけり (飯田蛇笏『蛇笏俳句選集』1949、「山」を詠んだ蛇笏の句には「芋の露連山影を正しうす」など、山という存在の、このうえない風格がある) 27

 

ひとの世に混り来てなほうつくしき無紋の蝶が路次に入りゆく (安永蕗子『蝶紋』1977、作者1920~2012は読売歌壇や宮中歌会始の選者、この蝶は「無紋の蝶」だからモンシロチョウかシジミチョウか、目立たない地味な蝶が人込みの「路次」に入ってゆく、それが「なほうつくしき」) 28

 

対岸の造船所より聞こえくる鉄の響きは遠あらしのごとし (斎藤茂吉1920『つゆじも』、茂吉は1917~20年、長崎医学専門学校の精神科の教授として過ごした、長崎市街から海を隔てた「対岸の三菱造船所」の「鉄の響き」が「遠あらしのごとく」聞こえる、低く籠ったような音なのか) 29

 

ただ広き水見しのみに河口まで来て帰路となるわれの歩みは (佐藤佐太郎『天眼』1979、植村は一日おきに、自宅から20分の荒川土手まで歩く、「広き水」は見えないが河川敷はとても広大だ、普通は土手を歩くのだが、そのまま「帰路となる」日もあり、この歌を思い出す) 30

 

さざれ波ことばまぶしく照り合いて川は確かに逆流に見ゆ (武川忠一『緑稜』1992、作者1919~2012は窪田空穂に師事した人、川の表面の「さざれ波」の動きは、あたかも「ことば」が「まぶしく照り合う」ようだ、川が「逆流している」ようにさえ見える) 31