[演劇] モリエール『女学者たち』

[演劇] モリエール『女学者たち』 新ゆりシアター 10月7日

五戸真理枝演出が非常によかった。シモン・エーヌ演出のコメディ・フランセーズ版DVDで何度か見ているのだが、この作品の<面白さ>という点では、本上演が上ではないか。その理由の一つは、演出の卓越性と、北則昭の新訳のよさにあるだろう。また姉妹の伯母ベリーズを男性にして同性愛者にしたこと、へぼ詩人トリソッタンやクリザールの弟アリストを若い男優にしたことがプラスしている。この作品は、シェイクスピアじゃじゃ馬ならし』と同様、作者のミソジニーが強すぎると感じていたが、それだけではないことが色々と分かった。「女学者たち」がからかわれていることには変わらないが、演出の五戸はプログラムノートに「本作はモリエールの戯曲の中で<もっとも美しい>作品と言われており、美しいのは<モリエールの視線>すなわち、厳しいだけでもない、優しいだけでもない、モリエールの人間を見つめる視線こそが美しい」と書いている。たしかに、学者かぶれ/学者気取りの三人の女が笑いものにされてはいるが、彼女たちがそうなる必然性も十分に描かれているので、この三人にも大いに共感できる。特に、クリザールの妻フィラマントを演じた中地美佐子は名演。(写真↓は、五戸と中地)

一つ気付いたことだが、長女のアルマンドは、「結婚にはセックスが不可避だが、セックスのような動物的でけがらわしいことは、私には絶対にできない。私は男と結婚することはなく、哲学と結婚する」と言う。以前は、ただ変な女だなとしか感じなかったし、モリエールもそういうアルマンドをからかっているわけだが、しかし現代ではフェミニストで同じことを主張する学者がいる。生殖は体外受精でやれ、と言うのだ。セックスを「けがらわしくて嫌なものだ」と心底から感じている女性は、実際に少なからずいるのだと思う。そう考えると喜劇『女学者たち』たちもまた違った光景が見えてくる。