今日のうた(150)  10月ぶん

今日のうた(150)  10月ぶん

 

太陽がうまく見えないこの部屋でわたしたちだけの神話を記す (奥山いずみ「東京新聞歌壇」10月1日、東直子選、「太陽の当たらない部屋と神話の組み合わせは、「古事記」の天岩戸を彷彿させる。暗い部屋での「わたしたち」の特別な親密さと閉塞感を象徴する」と選者評」) 10.1

 

帰りたいといつも言ってる入所者が家族の前では何も言わない (川上美須紀「朝日歌壇」10月1日、永田和宏選、介護施設だろうか、「家族の前では帰りたいと言わない入所者の微妙な心理」と選者評、たしかに介護などは家族が一番いいとは限らないが、とても複雑な心理) 2

 

鬼やんまわが持たぬものすべてもつ (千草子「朝日俳壇」10月1日、高山れおな選、「中七下五の痛快な断言が描き出す鬼やんまの威風堂々ぶり」と選者評、それにしても「鬼やんま」そのものをあまり見かけなくなったような気がする) 3

 

鰯雲登校してもしなくても (奈良雅子「東京新聞俳壇」10月1日、石田郷子選、「新学期が始まっても、何かの事情で学校に行けない子がいる。でも投稿できない子にも投稿できた子にも同じ秋空が広がっている」と、選者評) 4

 

撃たれたる鹿青年の顔をもつ (小室善弘、撃たれるまさにその時、鹿はこちらを凝視したのか、キリっとした顔は「青年」のよう、作者1936~は俳誌「鹿火屋」編集同人) 5

 

畳屋の肘(ひじ)が働く秋日和(あきびより) (草間時彦、畳表(たたみおもて)を平らにしたり、畳縁(たたみ)を押さえたりするのに、「肘」が縦横無尽に動いて活躍しているのだろう、「秋日和」もいい、ただ最近は「畳屋」を道端で見る機会がほとんどない) 6

 

草の花ひたすら咲いてみせにけり (久保田万太郎、「草の花」は「花野」と同様、秋の季語、秋に野原に咲いている花は、春、夏に比べると地味だ、「ひたすら咲いてみせている」けなげな花たち) 7

 

鰯雲(いわしぐも)子は消しゴムで母を消す (平井照敏、子どもが鉛筆で絵を描いている、そして、絵の中の「鰯雲」の一つとして「母」を描き、しかもいったん描いた「母を消しゴムで消した」のか、子どもは寂しいのだろう、作者の子だろうか) 8

 

静かなる闇焼酎にありにけり (岡井省二、「焼酎」はどういうわけか夏の季語、でもこの句は、四季いつであれ普遍妥当性があるのではないか、作者1925~2001は医師にして俳人) 9

 

人間のからだにありて爪だけが作りものめいてうつくしいこと (睦月都『Dance with the invisibles』2023、身体の他の部分ではなく「爪だけ」が芸術品のように「うつくしい」と、他に「われにある二十の鱗すなはち爪やはらかに研ぎゐるゆふべ」という歌もある、作者1991~は第63回角川短歌賞受賞) 10

 

人間のいのちの奥のはづかしさ滲み来るかもよ君に対(むか)へば (新井洸[あきら]、デートだろうか、恋人はきっと楚々とした美しいお嬢さんなのだろう、彼女と向き合っていると「いのちの奥からはづかしさが滲み来る」、作者1883~1925は佐々木信綱門下で「心の花」で活躍) 11

 

封筒を開けば君の歩み寄るけはひ覚ゆるいにしへの文 (与謝野晶子『白桜集』1942、亡くなった夫の寛からの古い手紙を取り出して、「封筒を」開けたのだろう、もうそれだけで「君が歩み寄る気配」を感じる) 12

 

てのひらは扉をひらき出入りするたびに違つた表情をもつ (尾崎まゆみ、「出入りする」部屋の中にいるその人を、作者は毎回強く意識するのだろう、だから「そのたびに、扉を開くてのひらも、違った表情になる」) 13

 

夜霧とも木犀の香の行方とも (中村汀女、「木犀は、視覚に入るより先に、まず嗅覚にスーッと入ってくる、夜霧の湿気をまず皮膚で感じるように」、今朝だが、玄関のドアを開けると、隣家の金木犀の香りが) 14

 

梨食うてすつぱき芯に到りけり (辻桃子、梨の中心部はどこまで食べられるのか微妙だ、ついもう一嚙みして「すっぱい芯に到りけり」) 15

 

汽車降りて夜寒(よさむ)の星を浴びにけり (野村喜舟、「夜寒」は秋の季語、私も今頃、夜遅くJR北鴻巣駅を降りた瞬間に感じることが多い、明らかに東京より2度は低い) 16

 

電車の影出てコスモスに頭の影 (鈴木清志、田舎の無人駅だろうか、「ホームに降りると一面にコスモスが咲いている、そのコスモスに、秋の陽を受けた「電車の影」が映っている、今、電車を降りた自分の「頭の影」がそこから分離した」) 17

 

たったいまダウンロードしたので歌えます人工知能の歌は明るし (飯田有子、カラオケだろうか、歌う前にスマホで確認しているのか、「人工知能の歌」という言い方が面白い) 18

 

踏みはづすならばおのれを くろがねの篩(ふるい)に揺らされて歩む世に (小原奈美、人生を自分の思うままに自由に生きるのは難しい、たえず檻のような「鋼鉄のふるいに揺さぶられ」選別されるコースを歩かされている、あぁ、たまには踏み外してみたい) 19

 

科学では証明できない交際相手に海がないと言われたら海はない (手塚美楽、彼氏を信じ切っているのだろうか、でも、「彼氏を信じ切っている」とわざわざ言挙げするということは、そういう自分にかすかな懐疑があるのかもしれない) 20

 

飛び立てぬつばさで誰もつぎの風を待つてゐる気がする空港に来て (松本典子、少女のような新鮮な感性、人生に羽ばたこうとしているだけでなく、恋のことも意識しているのだろう、「誰もつぎの風を待つてゐる」がいい) 21

 

また眠れなくてあなたを噛みました かたいやさしいあおい夜です (東直子『青卵』2001、恋の歌だろう、甘美な感情にかすかな寂しさがふっと差す、その繊細さがいい) 22

 

かなしみも喜びもないバーコードある日こころに貼りついている (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、たしかに「バーコード」というのは、見た目もデジタル的で「かなしみも喜びもない」、にもかかわらず「ある日こころに貼りついている」、「かなしみ」が「喜び」よりやや過剰なのか) 23

 

桟(かけはし)や命をからむ蔦葛(つたかずら) (芭蕉1690、木曽路の難所で詠んだ、鎖で板を縛って作ったおぼつかない「かけ橋」に、蔦が「必死で絡みついている」、「僕も鎖にしがみついてこわごわと渡ってるけど、おお、蔦くんもやはり怖くてしがみついているんだ」とユーモア句) 24

 

どの方をおもふてゐるぞ閨の月 (上島鬼貫、「遊女の絵に賛す」と前書、作者は、月光の差す自分の寝室の布団で、馴染みの遊女の絵を見て呼びかけた、「汝、今、「どの方」のことを想うておるか? 吾輩は汝のことを想うておるぞ」、自分が平安貴族になったかのようなパロディ句) 25

 

芦(あし)の穂やまねく哀れより散るあはれ (斎部路通、作者は芭蕉の弟子、水辺に生えている芦の穂は、そのまま散って立ち枯れてゆく、人を招くように揺れる薄の穂もたしかに哀れだが、芦の穂の方がさらに「あはれ」に感じられる) 26

 

猪(ゐのしし)の露折(おり)かけてをみなへし (蕪村、「あっ、イノシシのやつ、ここで寝たな、おみなえしの花を寝床にしたせいで、花が押しつぶされて折れ、しっとりと露が下りている」、最近、熊、猪、鹿などの出没が話題だが、猪はどこにでもいたのだろう) 27

 

秋の雨乳(ち)ばなれ馬の関こゆる (一茶1804、秋雨の中、ようやく乳離れしたかしないかの仔馬が、母馬に寄り添いながら一緒に「関を越えている」のだろう、まだ歩きぶりがおぼつかない) 28

 

長き夜や千年の後を考へる (子規1896、「夜長」は秋の季語、夜の実時間ではなく、次第に夜が長くなるからそう感じる、子規はたぶん「千年の後」の短歌や俳句のことを考えていのだろう) 29

 

蝶来りしほらしき名の江戸菊に (漱石1989、「しおらしい」地味な名前の「江戸菊」があるのだろう、あまり目立たないその菊に、あまり目立たない地味な蝶が弱弱しく飛んで来て留まった、秋も深い) 30

 

秋風や眼中のもの皆俳句 (虚子1903、秋風が、局部的ではなく、すべてのものをさらうように吹いている、「眼中のものはみな俳句になる」) 31