今日のうた(151) 11月ぶん

今日のうた(151) 11月ぶん

 

郷里(ふるさと)に住む人の無く天の川 (宮田隆雄「朝日俳壇」10月29日、大串章選、「過疎化が進み住む人の居なくなった故郷。同郷の人たちはいま何処(どこ)で如何(どう)しているのだろう。「天の川」が効果的」と選評) 1

 

雲梯(うんてい)を右手左手秋燕 (鹿沼・湖「東京新聞俳壇」10月29日、石田郷子選、「雲梯を進んでゆく若々しい手に焦点を当て、その向こうの秋空へと視点を移した」と選評、幼い子どもが公園か学校の雲梯にぶらさがり、必死に進んでいるのか、その向こうに秋燕がゆく) 2

 

少女たち蜃気楼めく日陰のみまだ濡れている朝のホームに (菅原海香「東京新聞歌壇」10月29日、東直子選、朝のホームの端の方で電車を待っている女子高校生たち、若々しい彼女たちだが「蜃気楼のように」ゆらゆらと頼りなげに見える、悩み多き多感な青春) 3

 

母さんはもの書きになるには闇が足りないと娘が言う隠せているのだな、闇 (今泉洋子「朝日歌壇」10月29日、永田和宏選、「私が裡に持つ闇は娘にも気づかれていないようだと、哀しい安心」と選評、母と娘は、互いに言えないような秘密を持つことがあるのか」) 4

 

霧(スモーク)をまとふ裸の踊り子の奥歯に銀のかんむりを見き (睦月都『Dance with the invisibles』2023、ストリップ劇場で「裸の踊り子」を見ているのだろうか、たまたまちょっと開いた口の「奥歯に銀のかんむりが見えた」、「霧」と「銀」が呼応する美) 5

 

たまものはぶだうなりしをれもんとぞおもほゆるまで靑年を戀ふ (水原紫苑、「ある靑年から贈り物をもらった、それはブドウだったが、なぜかレモンと思っていた、 私はその靑年に戀しているのか」) 6

 

手拍子が火から焔へ煽っても自分の影を踏んでいくしか (帷子つらね、作者2000~は早稲田大学の学生、夜の祭りで踊っているのだろう、人々が輪になって手拍子のリズムに乗って一緒に進むが、その中で作者は孤独な気分でいる ) 7

 

窓のそばのピアノを弾けば降りそそぐ光つぎつぎ編み込む両手 (飯田彩乃、「月光の降りそそぐ窓のそばで私はピアノを弾いている、両手が、光を、ピアノの黒白のキーに「つぎつぎ編み込んで」ゆく」) 8

 

地下書庫に体熱を奪はれながらひとは綴ぢ目の解けやすき本 (川野芽生『Lilith』2020、作者1991~は東大大学院生、東大図書館の地下書庫か、ぎっしり本が詰まった書棚に挟まれると「体熱が奪われる」、そして自分の体も、もろい本になったように感じられる) 9

 

ほどき方がわからずそのままにしておいた ちがう、わからなくなるように結んだの (初谷むい2022、作者1996~は北海道大学水産学部卒の若い歌人、この歌は「紐」について詠んでいるが、人間関係の比喩かもしれない、たぶん恋をしているのだろう) 10

 

裸ならだれでもいいわ光ってみて泣いてるみたいに光ってみせて (平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』2021、作者1886~は第23回歌壇賞を受賞、川柳も詠んだ異才の人、この歌も美しい、「だれでもいいわ」というのだから、男でも女でもいいのだろう) 11

 

いたわりが苛立ちに変わる感情の手をひらくごとひとつある海 (竹中優子2022、「いたわりが苛立ち」に変わってしまった自分のその感情は、まるで眼前の「ひとつある海」が「手をひらいて」自分を呑み込もうとするかのようだ、作者1982~は第62回角川短歌賞受賞 ) 12

 

凍る沼にわれも映れるかと覗く (西東三鬼『夜の桃』1948、実景が同時にメタファーなのか、混沌の時代だからこそ、澄んだ湖ではなく「凍る沼」に自分が映っているか確かめたい、それとも「凍る沼」さへ覗くナルシスか) 13

 

ペリカンは秋晴れよりも美しい (富澤赤黄男『魚の骨』1940、動物園なのだろう、「よりも」がこの句の肝、「ペンギン」と「秋晴れ」は、本来、その「美しさ」が比較できるようなものではない、にも関わらず「よりも」と比較し、言語が世界にずばりと介入) 14

 

河終る工場都市にひかりなく (高屋窓秋1937、作者は戦前、新興俳句運動の中心の一人、満州に勤務するのが1938年だから、これは日本の光景だろう、河口がある「工場都市」とは東京とか川崎だろうか) 15

 

霧の夜の外苑を外苑と思ひ通る (渡辺白泉、1933年頃、作者は慶応の学生、霧が深い夜、明治神宮外苑を通ったのだろう、何も見えないけれど「ここは外苑に違いない」と思いながら) 16

 

こがらしや頬腫(ほほばれ)痛む人の顔 (芭蕉1690、「木枯らしが吹く中を、顔が膨らんだ人が歩いていく、お多福風邪なんだ、あの膨らみ具合といい、痛々しいけど、おかめみたいでちょっと可笑しい、いやごめん、笑っちゃいけない」 ) 17

 

木つつきのつつき登るや蔦(つた)の間(あい) (浪化、「キツツキが、紅葉の樹を巻くツタの間にいる虫を、巧みに突つきながら上に移っていく、上手いなぁ」、語調もいい句、作者は東本願寺十六世啄如上人の子で、芭蕉の弟子、北陸俳壇の重鎮だった ) 18

 

君もさぞ空をどこらを此ゆふべ (上島鬼貫、「戀」と前書、面白い句だが難解、『鬼貫の独り言』を参照すると、星の出ている深夜、長い間逢えなかった女とやっと寝られた、「僕と同様、君もさぞ寂しかったろう、 空をあちこちさまよって、やっと今夜逢えたのだから」) 19

 

我足(わがあし)にかうべ抜かるる案山子かな (蕪村、「秋の収穫も終わって無用になった案山子、 着物はぼろぼろになり、頭は抜かれて一本足の棒の下に転がっている、ひと働きしてくれた案山子くんをこんな風にしておくなんて、ちょっと可哀そうじゃないか」) 20

 

死神により残されて秋の暮 (一茶1813、 郷里の柏原に帰省中の句、前句に「病後」と前書があり、辛い病気にかかり、癒えた直後の句、「より残す」は「選び残す」だから、「死神に選ばれなかった」の意) 21

 

おほろかに我れは思はばかくばかり難(かた)き御門(みかど)を罷り出めやも (よみ人しらず『万葉集』巻11、「宮廷の夜勤の合間をぬって、深夜やっと君のところへ来たんだよ、君を深く愛していればこそ、あんな厳しい管理の門を抜け出せたんだ、早く中に入れてよ」) 22

 

曇り日の影としなれる我なれば目にこそ見えね身をば離れず (下野雄宗『古今集』巻14、「貴女が私の愛を拒絶するので消え入りそうな私です、でも完全には消えません、曇った日の影のようになって、よく見えないけれど貴女から離れません」、ストーカーっぽい恋の歌) 23

 

影見たる人だにあらじ汲まねどもいづみてふ名の流ればかりぞ (和泉式部『家集』、「(彼氏の亡き後も、私があちこち男出入りしてると噂されるけど)とんでもないわよ、喪に籠ってる私の姿さえ見た人はいないはず、汲まないのに「和泉」という浮名だけじゃんじゃん流れてるのね」) 24

 

君やあらぬ我が身やあらぬおぼつかな頼めし事のみな変はりぬる (俊恵法師『千載集』巻15、「貴女はもはや以前の貴女ではないのでしょうか、それとも、私がもはや以前の私ではないのでしょうか、私があんなにも恋焦がれていた貴女の心変りは、とても悲しいのです」) 25

 

通ひこし宿の道芝かれがれに跡なき霜の結ぼほれつつ (俊成卿女『新古今』巻14、「貴方が通ってきた庭の道芝もすっかり枯れて人の通った跡もありません、貴方が離(か)れ離れになってしまったからだわ、霜が白く結ぼほれている[=からみつくように残っている]のが、ああ悲しい」) 26

 

さむしろの夜半の衣手さへさへて初雪しろし岡の辺の松 (式子内親王『家集』、「独り寝の寒い布団に横になっている私、夜中に袖のあたりが冷え冷えとして辛い、朝目覚めると、岡の松が初雪で真っ白になっているわ」) 27

 

聞きてしも驚くべきにあらねどもはかなき夢の世にこそありけれ (実朝『金槐和歌集』、「(病気とは聞いていなかった知人が夜明けに亡くなったと知らされて) 人が死んだと聞いたからといって驚きはしないけれど、それを聞く自分が生きていることさえ夢ではないかと感じる、ああ、はかない」) 28

 

手紙出しにくる老人の指などもポストの口に記憶されいむ (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、先の短い老人が手紙をポストに入れる手や体の動きはゆっくりと遅い、それをポストはちゃんと覚えているだろう) 29

 

女には何をしたっていいんだと気づくコルクのブイ抱きながら (穂村弘『シンジケート』1990、女性と一緒に海水浴に来て、海中でよからぬことを考えているのだろうか、かなり前の歌だが、今ならば、上半句の「女には何をしたっていんだと」の部分、「?」と思われるかも) 30