[演劇] シェイクスピア『オセロー』 こまばアゴラ劇場

[演劇] シェイクスピア『オセロー』 こまばアゴラ劇場 2月2日

(↑オセロ[佐藤滋]とデズデモーナ[伊東沙保])

何よりもデズデモーナが伊東沙保なので観劇したが、彼女が一人二役でイアゴーも演じているのに驚愕。下記も、みな共役で、三人がそれぞれ、キャシオー、エミリアビアンカを演じるとともに、三人全員がロダリーゴーを演じている。

一人共役というのは非常に面白い試みだが、結論をいうと、シェイクスピアが表現しようとしたものとはかなり違った『オセロ』になった。伊東は、ずっとズボン姿のイアゴーのまま演じ、ぱっと振り向いたとたんにデズデモーナになり、デズデモーナの科白を語る。つまり瞬間で役を変わる。その結果、イアゴーとデズデモーナという二人の人格が相対化され、存在感が希薄になった。時間的には、オセロとイアゴーの激しい心理的駆け引きの科白量が多いのだが、私には二人が恋人のように見えた。忠実な部下と上司の、信頼しきった関係性を、たしかに原作も表現しようとしているが、イアゴーがデズデモーナという女性の同一肉体のままだと、その関係性が変質してしまう。

『オセロ』は、闇が底知れぬ深淵となっている悪人イアゴーに、非常に高潔な人物であるオセロとデズデモーナが破滅させられるという、とても<怖い>話だ。だから、オセロは最初から最後まで高潔な人物でなければならない。ところが佐藤滋のオセロは、どこにでもいる「ダメ男くん」青年なので、まったくオセロらしくない。基本は、『オセロ』はイアゴ一だけが主人公で、彼の圧倒的なリアリティこそが主題だが、それにはオセロが滑稽な「ダメ男くん」ではまずい。イアゴーの<悪>の深淵が相対化され、浅くなってしまう。そして、『オセロ』はシェイクスピアで最も完成度の高い作品と言われているから、演出であまりいじると、全体バランスが崩れて緊迫感がゆるんでしまう。

まぁ、そうはいっても、オセロとデズデモーナの苦悩はしっかり表現されていた。伊東沙保にデズデモーナだけをさせたら、ずっと素晴らしい舞台になっただろう。今回、アゴラ劇場の最前列で伊東を見たが、彼女が名優である一番の理由は、その身体性にあることがよく分った。スッと立つだけで凛とした美しさがあり、どんな体勢や表情をしても、女性的というよりは、<意志>のアレゴリーのような剛直さを感じる。能や狂言の役者に近く、男優でいうなら野村萬斎のような美しさが伊東沙保の美しさなのだ。デズデモーナだけ一役をやったら、さぞ素晴らしいデズデモーナだったろう。かつて、彼女の「おさん」(『心中天網島』)と「オーリガ」(『三人姉妹』)に感嘆したが、おそらくデズデモーナにも最適の名優のはずだ。