[演劇] 女歌舞伎『小栗判官と照手姫』 Project Nyx

[演劇] 女歌舞伎『小栗判官と照手姫』 Project Nyx 下北沢 ザ・スズナリ 2月13日

(写真↓は舞台、雰囲気が明るくて楽しい)

「女歌舞伎」というのがいい。出雲のお国が歌舞伎を創始した江戸の初期は、「女歌舞伎」だったのだから。とにかく素晴らしい舞台だ。まず「小栗判官と照手姫」の物語がいい。分かりやすく、しかも感動的。おそらく人と人の出逢いは<縁>だという根本思想がある。(そして、幼少のとき添い寝をしてくれているはずの母が隣にいなくなっていることに衝撃を受けた小栗判官が、初夜の床で照手姫が同じようにいなくなっていることに衝撃を受けるシーン。プルースト失われた時を求めて』を想い出したが、これは原作にあるのだろうか、それとも白石征の加筆だろうか? )  元来は室町時代の伝承に由来する説教節の演目だが、白石征がアングラ版に書き直し、演劇的に面白くなった。それをさらに、水嶋カンナの構成と金守珍の演出で、最後の復讐劇をカットして、三郎のシーンを創出したのが奇想天外で、とてもいい。奇想天外でぶっ飛んだと展開の最後に、このうえなく美しい純愛が虹のように立ち上るのは、唐十郎の作品と共通する。(写真↓は、小栗判官[寺田結美]と照手姫[森岡朋奈]、ともにとても美しい、そして地獄でぼろぼろにされた小栗判官その人である餓鬼阿弥[水嶋カンナ]、誰もが目をそむける醜い餓鬼阿弥に小栗判官とは知らずに無償の愛を注ぎ続ける照手姫、これが奇跡を引き寄せ終幕、餓鬼阿弥が小栗判官に変身する!、そして、餓鬼阿弥の車を引いて助ける民衆)

日本の古典芸能にこれほど素晴らしい作品があるとは初めて知った。これを現代劇化した白石征の功績は大きいが、それをさらに金と水嶋が唐十郎的な美的な舞台にした。日本の古典芸能に西洋演劇の演劇的表現を与えただけでなく、文楽のような語り手、単独の三味線弾き、そして文楽と同様の人形、の三者を加えた全体的総合が、この傑作舞台を創ったといえる。語り、音楽、踊りのすべての要素がバランスして、どの場面も美しく楽しい。(写真↓左端が語り手、右端が三味線弾き。その下の写真右端が人形使い。その下、横山大膳[のぐち和美]と横山三郎[染谷知里]、男っぽくていい!)