[演劇] T・ウィリアムズ『欲望という名の電車』 鄭義信演出

[演劇] T・ウィリアムズ『欲望という名の電車』 鄭義信演出 新国立劇場 2月15日

(写真↓は、ブランチ[沢尻エリカ]、スタン[伊藤英明]、ステラ[清水葉月]、ともに名演)

鄭義信演出が非常にいい。笑わせる滑稽な部分を強調するが、チェホフと同様、笑いが深ければ深いほど、悲しみ、苦しみが深く、それだけ全体の陰影が濃い。ブランチとステラ以外の科白を関西弁にしたのがいい。二人だけがお嬢様育ちであることの対比だけでなく、そもそもルイジアナ州ニューオリンズアメリカでは珍しいフランス語圏、「ブランチ」「ベル・レーヴ」などこの劇のもっとも重要な言葉はフランス語で、多言語社会だからだ。そして舞台全体をアングラ劇っぽく仕立てたのも正解。おそらくT・ウィリアムスの劇は本質的にアングラ劇っぽいのだと思う。

沢尻エリカのブランチ↑は、キラキラと輝くような美しさがあって、これでこそブランチだと思う。『欲望という名の電車』も『ガラスの動物園』もともに、もっとも愛を必要とする者が、もっとも愛から疎外されてしまうという話。ブランチは愛から疎外されて精神を病み、精神病院に送られるという、真正の悲劇なのだから、ブランチという女性性が美しく輝けば輝くほど、愛の闇の深さと悲しみはそれだけ深い。ステラも非常によかった。ブランチ/ステラ姉妹は、それぞれがとても個性的で、互いに微妙な愛憎関係に何度も陥りながらも、全体としては深く愛し合っており、『ガラスの動物園』の弟トムと姉ローラのようだ。この舞台では、そうした姉妹関係が見事に表現されている。それにしても、ブランチという女性は奥行きが深い。『ガラスの動物園』の母アマンダのようでもあり、姉ローラのようでもあり、何よりもT・ウィリアムズ自身が「ブランチは私だ」と言っている。おそらくその意味は、「愛をもっとも必要とする者が、愛から疎外されてしまう」という意味だと思う。ブランチがかつて愛していた少年が同性愛ゆえに自殺したことは、T・ウィリアムズ自身が同性愛者だったことと関係ありそうだが、そこは分らなかった。ニューオリンズの下町に住むスタンの友人や近所の人々↓が実によく造形されている。特にミッチ[高橋勉](写真↓の階段に座っている)。本作を私は数回見ているが、今回が一番よかった。

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沢尻エリカ、舞台初主演で4年ぶりの俳優復帰 伊藤英明らと名作戯曲を演じる『欲望という名の電車』公開ゲネプロ (youtube.com)