(挿絵は、竪琴を背負うアポロンと踊る9人のムーサたち。音楽の神々の踊りは楽しくて優美)
小冊子ながら、西洋音楽史の核心を掴む名著だ。音楽という「生産物」を考察するのではない。音楽を、いつ、誰が、どんな欲求に基づいて、どんな方法で作り出したのかという、「音楽の生産過程」が押さえられてこそ、各時代の音楽の「本質」が見えてくる。
まず、「芸術」としての音楽が、「楽譜として設計された音楽」すなわち「設計=構成されるコンポジションとして音楽」として定義される(p4)。この定義は重要だ。なぜなら、民謡や民俗音楽、即興ジャズなどは、「音の文字=楽譜=エクリチュール」を持たないから、「音の設計図を組み立てる」複雑な知的作業を前世代から継承しつつ発展させることはできない。我々は、今日の楽譜を自明の前提のように考えやすいが、実は、音を「紙の上に表現する文字」の創造、すなわち記譜法の発明こそが、西洋音楽を「芸術音楽」たらしめたのである。
9世紀のある時、中世から口頭伝承されたグレゴリオ聖歌に、節回しを表記する「ネウマ」という文字が発明され、グレゴリオ聖歌の旋律は「線で」表現され、はじめて音楽が「紙に書かれた」。すると今度は、その線の「下にもう一本」の線を引くことが思いつかれ(=オルガヌム声部)、それまで単旋律だったグレゴリオ聖歌が、二つの声部になった。つまり、「水平」に伸びる旋律=線の次元に加えて、「垂直の次元」すなわち「和声」が発明されたのである(p13)。
11世紀になると、それまでグレゴリオ聖歌の旋律の「下部に」書かれ、それにぴったり寄り添っていた「オルガヌム声部」が、今度はグレゴリオ聖歌の「上部に」書かれるようになり、「主客転倒」が生じた。それまでグレゴリオ聖歌を飾る補助的な飾りでしかなかった「オルガヌム声部」が、今度は曲の主眼になり、「独立した動き」をするようになった。今度はそこに、世俗の恋愛や風刺の歌詞を新しい声部として付加することが可能になったのである。低音部として置かれたグレゴリオ聖歌は、「キリエ(主よ)」とのみ繰り返すだけで、その上部に、恋愛などを世俗フランス語で生き生きと歌った歌詞が、二つの声部として付加されたのが、中世の「モテット」である(p24)。
要するに、グレゴリオ聖歌は楽器の通奏低音のようなものになり、恋愛感情などを二つの声部でメインに歌える、三声の「芸術音楽」が可能になった。いわばグレゴリオ聖歌が「乗っ取られる」形で、世俗の感情を複雑な和声で表現するまったく新しい音楽表現が開かれたのである。これがルネサンスとともに華やかに開花するのであるが、こうした発展は、記譜法に基づく「エクリチュールとしての作曲」によってのみ可能なのである。(続く)