岡田暁生『西洋音楽史』(2)

charis2005-12-26

[読書] 岡田暁生西洋音楽史』(中公新書、05/10) 


(写真は、古代ギリシアの彫刻家プラクシテレス作のアポロン像。ルーブル美術館アポロンは音楽の神でもあるが、これ以上に美しい人間の肉体があるだろうか?)


本書の、次に面白い論点として、バロックとウィーン古典派の考察がある。「バロック」とは「いびつな真珠」という否定的な意味の言葉なので、バッハのような構築的な音楽を思い浮かべる我々には、どうもしっくりこない。この語は、本来、ルネサンスの調和の美しさに比べて、英雄的なギラギラした効果が好まれるようになった新しい時代の「趣味の悪さ」を、同時代人が揶揄した言葉なのだ(p69)。つまり、ルネサンスの側から新時代を見たときの呼称であり、現代の「我々の側から」見たのでは、語義が十分に伝わらない。


バッハがバロック音楽を「代表」すると考えてはいけない(p85f.)。バッハはバロックの傍流で、カントと同様にドイツから一歩も出なかった「孤高の」教会付き音楽家である。同時代の批評家から、「誇張された難解な様式を使うことで作品を不自然にしている」と非難もされた。難解な『純粋理性批判』を書いたカントと良く似ている。それに対して、バロックの本流は、今日ではほとんど上演されることのないバロック・オペラなのだ。バロックはオペラがもっとも数多く作曲された時代である。バロック・オペラは、代々のルイ王朝に代表される、ヨーロッパ各地の宮廷で上演された「王の祝典のための音楽」(p66)である。オペラだけではなく、宮廷や貴族の豪華な宴会ではBGMが必要とされ、楽師たちによって流麗で快適な音楽が演奏された。これがバロック音楽の本流である。


音楽が宮廷から徐々に市民に開放されていったのが18世紀であり、後半には、市民が切符を買って参加できる「演奏会」の時代が到来した。ここに登場するのが、ハイドンモーツァルトなどウィーン古典派である。それと同時に、自宅で楽器を演奏する多数のアマチュア愛好家が生まれた。その欲求から、教会音楽やオペラとは違う「器楽曲の時代」が到来する。楽譜出版が事業として成り立つようになり、そこから収入を受けられる独立した職業としての「作曲家」が可能になった。宗教や「王の権力誇示」といった動機ではなく、音楽が「音楽への愛」によって支えられる時代が到来したのである。


器楽曲の隆盛に対応して、古典派以降の音楽を特徴づけるのは、「旋律が音楽をリードする主役」として現れることである(p102f.)。もちろん旋律はバロックの時代にもあった。だが、バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディなどの曲の主題を「そらで歌う」と、どこかギクシャクして歌いにくかったり、旋律の起伏とメリハリが物足りない。それに対して、モーツァルト以降の音楽は、旋律だけを取り出して歌っても生き生きとして魅惑的だ。つまり、バロック時代の旋律は、通奏低音やフーガなどの構造の中に置かれることによって「表情をもつ」のに対して、古典派以降の旋律は、「それ自体の魅力によって」音楽をリードする存在になったのである。たとえば、現代の我々が読書するときのBGMを考えてみよう。バッハなら問題ないが、ベートーベンやロマン派だと旋律が印象的すぎて気が散る。その理由もよく分るではないか。(続く)