モーツァルト『アポロンとヒュアキントス』

charis2006-07-02

[オペラ] モーツァルトアポロンとヒュアキントス』 モーツァルト劇場公演 高橋英郎:訳詞・台本、演出:三輪えり花、7月2日 浜離宮朝日ホール 


(写真は、公演チラシより。左から、アポロン、オエバルス王、メリア姫のつもり? それとも左はヒュアキントス? でも下にヒアシンスが咲いている。)


作品番号k38、11才のモーツァルトが作曲。そして、彼の初めてのオペラ。しかし何という瑞々しい作品! 18才の時のオペラ『愛の女庭師』を見たときも、その美しさに驚いたが、モーツァルトの初期オペラは映像が少ないので、実演を見ないとその魅力に接することができないのは残念だ。この曲は、ベネディクト派のザルツブルグ大学が、学内の演劇講座のために計画し、モーツァルトに作曲を依頼したもの。ザルツブルグ大学は、神学や法律を学ぶ学生も音楽と演劇が必修だったという。台本は、ギリシア神話をもとに、同大学のヴィードル教授がラテン語で作り、モーツァルトは作曲に際してラテン語を勉強したという。


物語は、ギリシア神話を改変したもの。元の神話では、スパルタの王子ヒュアキントスが、神であるアポロンとゼフュルスの両方から愛され、ヒュアキントスがアポロンと遊んでいるのを嫉妬したゼフュルスが、風の力でアポロンの投げた円盤の方向を変えると、それが当たったヒュアキントスは死に、そこにヒアシンスの花が咲いた。オペラでは、まず、アポロンが神の世界を追放されて、羊飼いの青年に姿を変えて人間界をさまようという設定。スパルタのオエバルス王にはヒュアキントス王子の他に、メリア姫という妹が加わる。そして、ゼフュルスは神ではなくヒュアキントス王子の友人で、メリア姫に片思いしている。ゼフュルスは、人間界に現れたアポロンにメリア姫を取られることを恐れて、円盤をぶつけてヒュアキントス王子を殺し、アポロンがやったと嘘をつく。しかしすぐばれて、メリア姫はめでたく神アポロンと結婚するという、単純明快なハッピーエンド物語。


だが、神話の改変によって、この作品には予期せぬ新しい美の可能性が生まれた。台本作者のヴィードル教授が、メリア姫という女性を新たに造型したのは、アポロンとメリア姫の男女の純愛物語を機軸に据えて、美神アポロン、美少年のヒュアキントス、ゼフュルスという同性愛的契機を薄めることにあったと思われる。が、初演で12才のボーイソプラノが演じたアポロンは、その後、アルトの女性歌手が演じることになった。メリア姫は女性だからソプラノ歌手が自然だが、羊飼いの青年に姿を変えた美神アポロンを女性歌手が演じると、『フィガロ』のケルビーノとはまた違った美しさが生まれる。


若い女性が襞の多いキトンを着用して演じるアポロンは際立って美しく、しかも羊飼いの姿をしているので、一瞬、シェイクスピア『お気に召すまま』のヒロインである、ロザリンドを思い浮かべてしまった。ロザリンドは羊飼いの少年に変身した王女である。今回のアポロンは、郷家暁子という若いアルト歌手だが(彼女は一年前に芸大オペラで『皇帝ティート』のセストを歌った)、とてもボーイッシュに造型されていた。これはどう見ても"戦闘美少女"系のキャラだ。ギリシア神話では、女神アテナには"戦闘美少女"の要素があるが、まさかアポロンが"戦闘美少女"になるとは考えたこともなかったので、これは驚き!


でも、こういう遊び心に満ちたトランスジェンダーの面白さこそ、何よりもモーツァルトの音楽にぴったりではないだろうか。第二幕の終わり、アポロンとメリア姫の二重唱、そして、最後の大団円の、オエバルス王、メリア姫、アポロンの三重唱は、どちらも比類なく美しい。後年の『フィガロ』を予感させるような重唱で、ここに現出する調和の美しさはほとんど奇蹟というべきだろう。そして今回、作品の演劇的要素がとてもうまく表現されていた。三輪えり花は劇団「昴」の演出家で、シェイクスピアに詳しいそうだが、アポロンが人間の娘と結婚してもはや神の世界に帰らないという物語を、うまく活用している。一番面白かったのは、メリア姫が何と弓矢でアポロンを脅し、アポロンは弱々しく両手を挙げるというシーンだ。弓の名手アポロンも形無しという、この"可愛いアポロン"に、モーツァルトの音楽によってまさに生命が輝き出るのを我々は見た。↓