サントリーホール『フィガロの結婚』

charis2008-03-09

[オペラ] モーツァルトフィガロの結婚』(サントリーホール


(写真右は、伯爵(M・ヴェルバ)とスザンナ(D・デ・ニース)。下は、サントリーホールの舞台設定。オケピットがないので、演技もオケも舞台に載る。後方と側面の客席にも観客が入るので、古代ギリシアの円形劇場に近い。その下の写真は、第3幕、村の娘たちの"天国的"合唱、その下は、フィガロに演技をつける演出のラヴィア。)



オケピットのないサントリーホールが考え出した「ホールオペラ」という形式の上演。オケも舞台に一緒に載る。そのぶん舞台が狭くなるので、大きな舞台装置を使う『アイーダ』や『指環』のようなオペラでは無理だが、『フィガロ』はホームドラマなので、この形式が可能なのだ。その結果、通常の舞台様式の『フィガロ』に比べて、全体がより”演劇的”になった。演出のガブリエーレ・ラヴィアはイタリアを代表する演出家の一人で、シェイクスピアストリンドベリ、チェホフなどを得意とする。舞台で音が反射しないサントリーホールで声を四方に響かせるのは難しいように思われるが、歌手陣は瑞々しい若手が多く、頑張っていたと思う。伯爵夫人のファルノッキアや、マルチェリーナの牧野真由美は、声量も豊かで聞かせた。


舞台後方にオケが載ったために、歌手が演技するのは、手前の細長い空間になる。この細長い空間を行き来するので、歌手はかなり動きが大きい。スザンナもフィガロも伯爵も、舞台を走り回り、ソファーを飛び越し、いつも”飛び跳ねている”感じだ。これが独特の躍動感を作り出しているが、歌手の負担はかなりのものだろう。しかし一方では、歌手の動きに要する時間を補うものとして、音楽の面で新しい工夫がこらされている。


それは、オケが観客に背を向けて座り(つまり通常のオケと反対の向き)、その代わり指揮者(ニコラ・ルイゾッティ)は、つねに観客の方を向いて指揮することだ。指揮者は大げさに体を動かして指揮をし、しかも観客に向けて顔でいろいろ表情を作ってみせるので、あたかもそこに指揮者という名の歌手が一人いて、一緒にオケという歌を歌っているかのようだ。しかも指揮者は、レチタティーボに伴奏を付けるだけでなく、それ以外にも原作にない音をフォルテピアノで勝手にかき鳴らす。たとえば、ちょっと冷やかしを込めた科白や、驚きの場面などで、チャッチャチャチャーンと茶々を入れる。あるいは、モーツァルトピアノソナタの旋律や、『フィガロ』の別の場面の歌の旋律が、ちらっと鳴ったりもする。こういう”遊び”は、指揮者が舞台上の登場人物として参加しているからこそ、歌手と一緒に遊んでいるという感じになるのだ。『魔笛』の初演のとき、指揮者のモーツァルトは大好きなグロッケンシュピールを自分で鳴らしたかったので、勝手に舞台に上がって鳴らしてしまい、鳴らすはずだったパパゲーノ役のシカネーダーをびっくりさせた。こういう”いたずら”はモーツァルトの音楽によく似合う。


一方ではしかし、オケが舞台に上ることによって、歌手の声がオケとやや融合的になり、声が声として浮かび上がる"線的な放射性"が少し弱くなったように感じられられた。とはいえ、オケを舞台に上げるだけで、ずいぶん色々な新しい変化が生まれるので、「ホールオペラ」形式の試みは有意義なものだと思う。