プーランク『カルメル会修道女の対話』

charis2009-03-15

[オペラ]  プーランクカルメル会修道女の対話』 新国立劇場

(写真右はポスター。下はフランスのストラスブール(1999)、サンテティエンヌ(2005)での舞台より、後者はギロチンの下で歌う終幕)

プーランク(1899〜1963)晩年の傑作オペラ。すでに現代音楽の時代である1957年に、このような古典的で衝撃的なオペラが生まれたことは、それ自体が驚くべきことだ。物語は、フランス革命の混乱のさ中、1794年にパリの広場で16人のカルメル会修道女が処刑された史実に基づいている。ベルナノスの戯曲をもとにプーランクがオペラ化した。人間の不条理な「死」を真正面から見詰めようとする力作で、その美しさが深い悲しみを誘う。歌われる言葉が選びぬかれた光を放っているのは、ベルナノスがベースになっているからだろうか。というのも、本作には、やはりベルナノスの原作にもとづくロベール・ブレッソンの映画『少女ムシェット』と共通するものが感じられたからだ。どちらも、一切の装飾を排したピュアな構成の中に、人間の死の偶然性と不条理性が淡々と見詰められている。


物語は、侯爵令嬢ブランシュが革命の混乱を避けてカルメル会修道院に入るところから始まる。厳しい戒律の中で、傷つきやすい繊細なブランシュは、陽気でおちゃめな娘コンスタンスと親友になる。もっとも若い修道女である二人は、フランス革命による王党派やカトリックへの弾圧という嵐の中で、大きな試練を受ける。救いを求めて修道院に入ったはずなのに、少しも心の安寧は得られない。二人が尊敬する老修道院長は、その経歴、修養、高潔な人柄からして、死を穏やかな気持ちで迎えられるものとばかり二人は思っていた。だが、現実はまったく違った。死を前にして肉体的苦痛に打ちのめされた院長は、薬にすがったり、神を呪ったり、じたばたしたあげく、錯乱の中で醜く死んでゆく。その死は二人に激しい動揺を与える。(写真下↓、スペインでの舞台(2008))

修道女たちのリーダーであるマリーは、院長の酷い死に様を他の修道女たちから隠そうと奔走する。院長の死をめぐってブランシュとコンスタンスの間に交わされる対話は、彼女たちの深い苦悩をよく表している。この世のさまざまな偶然的な事象を必然の相のもとに見ることができ、それが心の安寧をもたらすのが、信仰と修養の帰結であるキリスト者のあるべき姿のはずだった。だが二人は、院長の死という出来事において、偶然を必然に転化することができない。むき出しの偶然性の前に晒され、翻弄され、それを受け入れることができないという苦しみ。コンスタンスは若い娘らしい”新説”を考え出す。「院長は、別の人の死の身代わりとして死んだのよ。」 院長の死の醜さは、本来の彼女の死ではなく、別人を替わりに引き受けた死であるというコンスタンスの奇抜な考えも、しかしブランシュの慰めにはならない。


いよいよ修道院は、革命政府の命令で閉鎖が決まった。修道女たちは「俗人に帰る」よう命令される。だが、彼女たちには帰るところがない。嫁がしばらく実家に戻るように俗世に戻ることは、彼女たちには考えられないのだ。堅い信仰を持つリーダーのマリーは、殉教を提案する。ただし、秘密投票で一人でも反対がいたら殉教はしないと言う。投票の結果、一票が反対。修道女たちは、ブランシュに違いないと噂する(大貴族のお嬢様であるブランシュは修道院の中でも浮いた存在なのだ)。だが、それを聞いてコンスタンスが「私です」と名乗り出る。しかも、意見を変えて自分は殉教に賛成すると言う。耐え切れずに、そのまま修道院を脱走して実家へ逃げ帰るブランシュ(反対の一票は、本当にコンスタンスだったのだろうか? )。マリーはパリまでブランシュを探しに行くが、ブランシュは殉教を拒否する。混乱のうちに、結局、殉教は行われない。しかし、修道女たちは、殉教請願は違法だという罪で逮捕され、監獄に送られてしまう。殉教の提案者マリーは逮捕を免れるという偶然の皮肉。思いもかけなかった死刑判決。ただちに、パリの広場でギロチンにかけられる彼女たち。一緒に賛美歌を歌いながら、一人一人順番に進み出て、ギロチンの音とともに歌が止まり、倒れる。歌声が一つ一つ減ってゆく悲しい終幕だ。こんなオペラが他にあるだろうか。最後がコンスタンスのはずだったが、不思議にもそこにブランシュが現れ、ブランシュが最後の死を勤める。しばらく前にコンスタンスがこともなげに言った言葉、「若い娘の私たち二人は、きっと一緒に死ぬかもね」が必然の現実になってしまった。


今回の舞台は、新国のオペラ研修所の若手公演である(チケットは3600円)。個々の歌手の出来不出来はあるだろうが、全体としてとても充実した素晴らしい上演だった。ロベール・フォルチューヌの演出はスピード感のある見事なもので、簡素でモダンな舞台が美しければ美しいほど、修道女たちの苦しみは万感胸に迫るものがあった。私の席は前から二列目だったが、マリー(堀万理絵)の冷たく厳しい美しさと、コンスタンス(鷲尾麻衣)の何ともいえない愛らしさが印象的だった。指揮はジェロームカルタンバック、オケは、東京ニューシティ管弦楽団