[今日のうた26] 6月1日〜30日
(写真は、安藤美保1967〜91、「心の花」所属、お茶の水女子大大学院在学中、藤原良経について修論執筆のために調査旅行した京都で、不慮の事故により逝去、みずみずしい歌が遺歌集『水の粒子』に残された)
・ 衣更(ころもかへ)て坐つてみてもひとりかな
(小林一茶、「衣更は何となくいい気分だ、ちょっと人に見せたいな、でも誰も客は来ないし、一人だな」、いかにも一茶らしい人恋しさが) 6.1
・ 更衣(ころもがへ)人恋ふ心あてもなく
(竹田小時(ことき)、作者は新橋の芸妓だった人で、高濱虚子の句会に参加していた、昨日の一茶とはまた違う「人恋ふ心」) 6.2
・ 麦畑に遠く火花を保ちつつ新幹線は音なく行きぬ
(植村恒一郎「朝日歌壇」1992.6.14、佐佐木幸綱氏の選、私の住むJR北鴻巣駅周辺は当時麦畑でした、豊かに実った麦秋が広がるかなたに、架線の電気火花を光らせながら新幹線が行く姿がありました) 6.3
・ をとめらはエレベータに口噤(つぐ)みアスパラガスの束のごとしも
(篠弘1992、「今日のエレベータには、若い女性社員たちがぎっしり乗っている、みんな押し黙って、なんかアスパラガスの束みたい」、ユーモラスな比喩がいい) 6.4
・ 青梅の臀(しり)うつくしくそろひけり
(室生犀星1943、「梅の枝にたわわに青い実がなっている、うーむ、あちこちにキュートなお尻が並んでいるみたいだな」) 6.5
・ 青蛙おのれもペンキぬりたてか
(芥川龍之介1918、「蛙の色彩はペンキ塗りたてのように生々しい、その存在感」、感覚的にシャープな句) 6.6
・ 悔いありて歩む朝(あした)をまがなしく蜘蛛はさかさに空を見ており
(安藤美保『水の粒子』、「後悔することがあって、切ない気持ちで歩いている早朝、可愛らしい小さな蜘蛛が糸にぶら下がっている、そうか、この蜘蛛は逆さまに空を見ているのね」、大学一年の時の歌、NHK・TV講座「短歌」で佐佐木幸綱選の優秀作に) 6.7
・ 愛持たぬ一つの言葉 愛を告げる幾十の言葉より気にかかる
(俵万智『サラダ記念日』1987、作者の歌はどれも明晰な言葉を使っており、屈折・余情・余韻に富むいわゆる短歌的抒情とは少し違うが、それがある種のクールな批評性を生み出している) 6.8
・ きみとわれと触(さや)るもつともすがしき音夏の授業後ジョッキたたけり
(松平盟子「帆を張る父のやうに」1977、大学生時代の作、この一連の歌で作者は「第23回角川短歌賞」を受賞した、ジョッキを叩いて乾杯するのも恋人と「触れる音」というのが若々しい) 6.9
・ 罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ
(与謝野晶子『みだれ髪』1901、「私の体のこの若々しい魅力は、かっこつけて「道」なんか説く貴方を懲らしめるためにあるのよ」、自分の肉体に対するこの自信、「罪多き男」とは鉄幹のことだろう、明日は河野裕子の「罪多き男」の歌を) 6.10
・ 息あらく寄り来しときの瞳(め)の中の火矢のごときを見てしまひたり
(河野裕子『森のやうに獣のやうに』1972、たぶん23歳頃の作、「彼氏の黒い瞳の奥に、火のように激しい性欲がほとばしるのを見てしまった」) 6.11
・ 人音(ひとをと)のやむ時夏の夜明かな
(大島蓼太、作者1718〜87は江戸中期の俳人、「夜が更けて、人の音がしなくなったと思ったら、もう夜が明け始めた」、夏至に近づくにつれてますます「短夜(みじかよ)」に) 6.12
・ みじか夜(よ)や毛むしの上に露の玉
(蕪村1769、「みじか夜なので、早くも部屋に夜明けの明るさを感じる、あっ、毛虫がいるぞ、小さな露の玉までついている」、微細なものへの鋭い観察が、微妙なおかしみを醸し出す) 6.13
・ 衣(きぬ)をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く
(桂信子1955、「夜、帰宅して、真っ暗な自室で着物を脱いだ私、部屋に活けてあるあやめの花が、闇を通して裸の自分を見ているような気がする」) 6.14
・ 似合わないところが見たい、ほんとうに似合わないねえって云いたいの
(穂村弘『手紙魔まみ、意気地なしの床屋め』2001、作者の歌は他にない新しい感覚に溢れている、サラッとした詠みぶりに、恋人まみとのラブラブな関係がうかがえる素敵な歌が多い) 6.15
・ 紫陽花(あぢさゐ)や藪を小庭の別座敷
(芭蕉1694、「この小さな離れは、藪を庭に見立てる質素な造りだけれど、そこに咲いている紫陽花の何という美しさ」、紫陽花の花は野性味が似合う、友人宅の離れでの句会、そこでの即興の挨拶句) 6.16
・ 紫陽花や帰るさの目の通ひ妻
(石田波郷1963、「毎日、病院へ見舞いに来てくれる妻、今日は病室に紫陽花の花を活けてくれた、でも妻の眼は「そろそろ帰るわね」という目つきになっている」、肺の病で入院生活が長かった作者、病床句が多い、紫陽花が美しいだけに、妻の「帰るさの目」が淋しいのか) 6.17
・ 砂山の砂に腹這ひ/初恋の/いたみを遠くおもひ出づる日
(石川啄木1910、『一握の砂』は「東海の小島の磯の白砂に・・」で始まるが、この歌はその少し後にある、「初恋のいたみ」とは何だろう、啄木の初恋は数え年14で、相手は後の妻の節子だから、失恋とは違うのか) 6.18
・ われの孤は絶対にして渡せざりひと美(は)しけれどひと愛(を)しけれど
(坂井修一1986、「ひと」とはここでは妻のこと、20代の作者は情報科学の研究者、一人で考える孤独な時間が必要だ、新婚の妻は可愛いけれど、これだけは譲れない、それに対する妻の歌は明日) 6.19
・ 君はつよき孤に太るべし追ひつめて追ひつめて口惜しく譲りし一語
(米川千嘉子1988、「あなたって、結局、一人で生きられる人なのね、あなたの中に入っていこうと、とことん追い詰めても、最後はいつも撥ね返される、いいわよ、大好きな孤独を食べてますます太りなさい」、新婚なのに孤独を愛する夫は、学者) 6.20
・ 夏至(げし)今日と思ひつゝ書を閉じにけり
(高濱虚子1957、なかなか味わいのある句、「書を閉じた」のは何時ごろだろうか、明け方まで読書に没頭したのか、それとも夕方遅くまで灯を点さずにいたのか、今日6月21日は夏至) 6.21
・ 雨の筋きらきらとして立葵
(伊藤通明、「雨あがりの立葵の花、陽射しの中に、雨水の筋がきらきらと光っている」、作者1935〜は、俳誌「白桃」主宰) 6.22
・ 越えぬればくやしかりける逢坂(あふさか)をなにゆゑにかは踏みはじめけむ
(建礼門院右京大夫、「ああくやしい、あのプレイボーイは危ないから、つかまらないように用心していたのに、私としたことが、どうして一線を越えちゃったのかしら」、作者は誇り高い才女として聞こえた人、好色で名高い藤原隆信に執拗に口説かれ、ついに・・・、明日はこの恋の続編を) 6.23
・ ありけりと言ふにつらさのまさるかな無きになしつつ過ぐしつるほど
(建礼門院右京大夫、「藤原隆信さん、ずーっと私をほっといて、思い出したように迎えの車を寄こしたわね、乗るまいと思ったけど、乗っちゃったわ、車から降りた私に、「おやっ、生きてたの」って冗談ぽく言ったわよね、私が存在しないものとして貴方は過ごしていたのね、ひどいわ、ひどいわ」、『建礼門院右京大夫集』の歌には長い詞書があり、含めて訳した。
藤原隆信も右京大夫との恋の駆け引きの歌を残しているが、駆け引きは彼の方が一枚上手である。相手の歌の言葉を引用して、巧みに自分の言い分に引き寄せたりする。彼は画家としても一流で、有名な源頼朝像は彼の作である。才ある男性に、才女の右京大夫は弱かったのかもしれない) 6.24
・ 身を知らず誰かは人を恨みまし契(ちぎ)らでつらき心なりせば
(清少納言、「それにしても身の程知らずのストーカーね、貴方は、私が冷たいと恨む手紙を寄こしたけれど、私は一度も会う約束なんかしてません、勝手に言い寄ってきて恨みを言ったって、そんなの知らないわよ」) 6.25
・ 底光る夏の曇天煙突ども
(金子兜太1941年頃、何本も並ぶ煙突の上に広がっている暑苦しい東京の曇り空、「底光りする」曇天という把握が鋭い、作者(1919〜)は前衛的な作風で知られるが、この句ように、俳句を始めたばかりの頃の句にも非凡なものを感じさせる) 6.26
・ 干梅のやはらかさ指ふれねども
(山口誓子1945、梅干しの表皮の、ちょっと指先で触れてみたくなる感じ、やわらかな質感がとてもよくでている) 6.27
・ 金魚大鱗(たいりん)夕焼(ゆやけ)の空の如きあり
(松本たかし1935、「ガラスの金魚鉢を通して、金魚が泳ぐ姿がレンズで拡大されたように映っている、その見事に輝く赤い鱗、夕焼け空のように美しいな」) 6.28
・ そら豆の殻(から)一せいに鳴る夕(ゆうべ)母につながるわれのソネット (寺山修司、高校時代の作、斬新な発想、「母と育った故郷の畑、その畑に実った空豆は、莢(さや)が空を向くように直立している、中の豆が殻を破るように一斉にはじけ、その音は僕の中でソネットの韻律になる」、これは母へのオマージュ、母子家庭だった作者の母は、13歳の時に単身働きに出て、作者は叔父に預けられた) 6.29
・ 近づきてまた遠ざかるたましひのむらがるごとく雲はてしなし
(島田修二1983、作者にとって、雲はたんなる自然現象ではなく、人間の生の離合集散のようなものなのか、人と人とが出会い、別れ、消えていく、それは悲しいけれど、また救いでもある) 6.30