今日のうた(127) 11月ぶん

今日のうた(127) 11月ぶん

 

胸そらす朝の体操鱗雲 (日下光代「東京新聞俳壇」10月31日、石田郷子選、「澄み切った大気の中で大きく体を反らした時、見事な鱗雲が目に入った。秋の朝の爽やかさがよく伝わってくる」と選者評。「鱗雲」が「朝の体操」と結びつくのが新鮮) 1

 

朝寒のバベルの塔に出勤す (竹内宗一郎「朝日俳壇」10月31日、高山れおな選、「竹内さん、職場自体が多国籍多言語なのか、職場が入るビルの話か。自己像をハードボイルド(?)に演出」と選者評。「バベルの塔」という語がいい、屈指の高層ビルだろう) 2

 

口を聞きたくない日も泡で出るハンドソープは泡で出てくる (小原史子「東京新聞歌壇」10月31日、東直子選、「泡で出るハンドソープの感触と、意志とは無関係に出てしまう言葉とを結び付けた。リフレインの効果もあり、不可抗力の感じがよく伝わる」と選者評) 3

 

心電図に「ハートは元気」と医師の笑むこんなに苦しい恋してるのに (岡田紀子「朝日歌壇」10月31日、高野/永田/馬場選、三人の選者が選んだ歌、心臓について医師がコメントするということは、作者は中高年の女性だろうか、いや、そこがいいのだ、この歌は) 4

 

死ぬ母に死んだらあかんと言わなんだ氷雨が降ればしんしん思ふ (池田はるみ『ガーゼ』2001、作者の母が亡くなった、もう助からないと分る状態だったのか、看病しながら、ついに「お母さん死んだらだめよ」とは言わなかった、後日、氷雨が降る中、そのことを後悔する) 5

 

想はれず想はずそばにゐる午後のやうに静かな鍵盤楽器 (石川美南『砂の降る教室』2003、作者1980~は学生か、恋の別れだろうか、二人は楽器の鍵盤のように、寄り添って「そばにゐる」けれど、もはや「想はれることも想ふこともない」、沈黙する鍵盤楽器のように) 6

 

あかあかとガードは燃えて沈みゆく夕陽よ 省線電車はゆけり (福島泰樹下谷風煙録』2017、作者は1943年に東京市下谷(したや)区に生まれ、今も住む、歌集は最近のものだが、人生を回顧している、「ガードに沈みゆく夕陽」には「JR山手線」ではなく「省線電車」が似合う) 7

 

振り向かぬ子を見送れり振り向いたときに振る手を用意しながら (俵万智『オレがマリオ』2013、作者が島在住のときの歌だろう、息子を見送りに港に来ているのか、やはり母親としては、振り向いてほしいと心中思っている) 8

膝くらくたっている今あとなにを失えばいい ゆりの木を抱く (江戸雪『百合オイル』1997、「ゆりの木」は外来種の大木、恋を失った悲しみの歌か、「ゆりの木」に体を寄せ、「膝に光が当たらない」くらい密着して、むしろ木に抱かれるように、かろうじて体が支えられている) 9

 

抜かれても雲は車を追いかけない雲には雲のやり方がある (松村正直『駅へ』2001、街中ではなく高速道路を走れば、「雲を追い抜く」こともあるだろう、でもこの歌の「雲」は擬人化されているように感じられる、人と人との関係のメタファーとしても読まれうる) 10

 

たくさんの空の遠さに囲まれし人さし指の秋の灯台 (杉崎恒夫『食卓の音楽』1987、海辺の灯台は、非常に遠くにいる多数の人から見られている、それを「たくさんの空の遠さに囲まれし」と詠んだ、そう、「人さし指の」灯台は寂しくなんかないんだ) 11

 

花薄(はなすすき)風のもつれは風が解く (福田蓼汀、作者1905~88は登山家でもあった、この「花薄」もたぶん街中ではなく高原だろう、風で大きく「もつれ」、また次の風で大きく「ほどける」) 12

 

秋の暮大魚の骨を海が引く (西東三鬼『変身』1960、とても大きな魚が、骨だけになって砂浜に打ち上げられている、それを再び海の波が少しずつ海へと曳いてゆく、いかにも「秋の暮」らしい光景だ) 13

 

日本海これより寒(かん)の黒さかな (徳永 山冬子、作者1907~98は愛媛県出身で、俳誌「渋柿」主宰、この句は日本海で詠んだもの、海は潮目を境に色が変ることが多い、冬が来たのだろう、「これより寒の黒さ」とズバリと把握した) 14

 

山もみじ処女(おとめ)の声をちりばめて (鎌倉佐弓、美しい「山もみじ」が広がっている中から、歩いて観賞している若い女性たちの声が聞こえるのだろう、「処女(おとめ)の声」には「山もみじ」のようなキラキラする輝きがある) 15

 

生きるの大好き冬のはじめが春に似て (池田澄子、時雨など降る初冬なのに、あたたかく晴れた日もある、「小春日和」という季語だが、「冬のはじめが春に似て」と優美に言い換え、「生きるの大好き」と取り合わせたのがいい) 16

 

一枚の落葉となりて昏睡す (野見山朱鳥、落葉はいろいろな落ち方をする、ストンと地面に落ちる、ゆらゆらと風に乗って遠くに落ちる、すぐ下の葉に引っかかって止まる・・、作者はどの落葉に似た仕方で眠りに落ちたのか)  17

 

時雨るゝや音してともる電熱器 (波多野爽波、私の子どもの頃は、暖房器具が少なかったので、電熱器も使っていた、スイッチを入れるとジーンという小さな音がして、だんだん赤くなってくる、そして灼熱すると音が止まる、まさに「音してともる」だった) 18

 

凩(こがらし)の果(はて)はありけり海の音 (池西言水、「凩の音を一心に聴いていると、風の音のさらに向こうに海の波の音が聴こえる」、すごい聴覚だ、作者(1650~1722)は江戸初期の俳人芭蕉派と交流もあった) 19

 

くしゃみして星の一つを連れかへる (仙田洋子、冬は夜の星が美しい、初冬のある晩、作者は久しぶりに星を眺めた、気温が下がって「くしゃみ」がでる、でも今夜はある星の姿が気になって、その星がとても心に残った、「星の一つを連れかへる」ようにして) 20

 

剣太刀(つるぎたち)身に添ふ妹をとりみがね音(ね)をぞ泣きつる手児(てご)にあらなくに (よみ人しらず『万葉集』巻14、「身に付ける太刀のように連れ添ってきた妻を、可愛がることができなくなってしまって[防人など公用か]、声をあげて泣いちゃった、まるで娘っ子みたいに」、愛妻歌) 21

 

今はとてわが身時雨(しぐれ)にふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり (小野小町古今集』巻15、「時雨がふるように私も、今はもうすっかりふるくなってしまったわ、だから木の葉と同じように、貴方の言の葉も、すっかり冷たくなったのね」) 22

 

覚めてのち夢なりけりと思うふにも逢ふはなごりのをしくやはあらぬ (藤原実定『新古今』巻12、「貴女に逢っていると思いきや、とたんに消えてしまい、夢から覚めただけでした、でも夢だからといって、後に残る余韻の深さは、逢ったときと少しも変わりません」) 23

 

恨むとも嘆くとも世の覚えぬに涙なれたる袖の上かな (式子内親王玉葉和歌集』、「世の中を恨んでもいないし、嘆いてもいないのに、ただわけもなく涙が流れるのはなぜかしら、いつも涙が流れているので、私の袖はすっかり涙に慣れてしまったわ」) 24

 

ひとかたに靡く藻塩の煙(けぶり)かなつれなき人のかゝらましかば (平忠盛『千載集』巻1、「おっ、藻塩を焼くあの煙は長く伸びて、一方にぐーんと傾いていくぞ、いいな、つれない彼女も、あんな風に僕に身を傾けてほしいなあ」、作者は平清盛の父、平氏は京都風なので貴族的) 25

 

世の中にかしこきこともはかなきも思ひし解けば夢にぞありける (源実朝金槐和歌集』、「この世には、優れているものもあり、取るに足らぬつまらないものもあり、両者は異なるように見える、だが、よくよく考えてみれば、どちらも夢のようにはかない点は共通している) 26

 

草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ (寺山修司『空には本』1958、歌集刊行時点で寺山は22歳、彼の歌は「前衛短歌」と呼ばれるが、何と言っても、この瑞々しさが魅力だ) 27

 

昇降機下(お)りゆくなかにきくらげのごとうごかざる人間の耳 (塚本邦雄『日本人霊歌』1958、エレベータに乗っていると、狭い空間に人が何人もいるので、人間の肉体の各部分が間近に見える、「人間の耳」は「きくらげのごとくうごかない」、何とも言えず不気味なものだ) 28

 

顔を脱(ぬ)ぐごとくいかりを鎮めたるその時の間も黙(もだ)しつつ越ゆ (岡井隆『鷲卵亭』1975、東京の医師であった作者は、1970年に愛人女性と九州へ隠遁、5年後に文学活動を再開、「顔を脱ぐごとく怒りを鎮める」「時間を黙しつつ越える」がいい) 29

 

飲食(おんじき)ののちに立つなる空壜(からびん)のしばしばは遠き泪のごとし (葛原妙子『葡萄木立』1963、ガラス製の酒ビン、醤油ビン、調味料のビン、牛乳ビン等を、使い終わった後に洗って台所の窓のあたりに並べてあるのだろう、それらが「遠い涙のように」見える) 30