[今日の絵] 10月後半

[今日の絵] 10月後半

19 Aphrodite. Parian marble, 330-300 BC

「パリアン大理石」とは、古代ギリシアエーゲ海ロス島で採石された、きめの細かい半透明の大理石で、その純白が非常に美しい、アテネで発見されたこのアフロディーテ頭像も、顔に滑らかな優美さが感じられる

 

20 プラクシテレス : アルルのヴィーナス BC1Ce

BC4世紀の古代ギリシアの彫刻家のプラクシテレスのアフロディーテ像を、BC1世紀末に模造したもの、1651年に南フランスのアルルで発見されたのでこう呼ばれる、194cmの大きな像、女性的なまろやかさはあまりなく、男性のようにスッくと立っている

 

21 プラクシテレス : クニドスのアフロディーテ BC4Ce

昨日と同じプラクシテレスのアフロディーテ、クニドスは古代ギリシア島嶼部にある都市名、「恥じらいのヴィーナス」と呼ばれる体勢だが、どの方向から見ても美しい、体を浄める儀式としての入浴するところらしい

 

22 Lucas Cranach the Elder : Portrait of a woman 1522

作者1472~1553はドイツルネサンス期の画家、ルターの親友でもあった、女性もたくさん描いており、この絵の女性は、華やかな美しさはないが、じっと見ていると、彼女の静かで上品なたたずまいの中に、凛とした美しさが浮かび上がってくる

 

23 Hans Holbein (子) : 南ドイツ出身のある女性1525

作者1497~1543はルネサンス期のドイツの画家、ヘンリー8世エラスムス、トマス・モアなど有名人をたくさん描いたが、これは普通の女性だろう、眼は小さく、凄い美女というわけではないが、穏やかな表情にかすかな微笑みがあり、彼女の優しい心性が伝わってくる

 

24 Tiziano : Portrait of a lady 1525~65

ティツィアーノ1490頃~1576は盛期ルネサンスのイタリア人画家、この絵の正確な制作年やモデルが誰かは分かっていないようだ、彼の描く女性はたいてい眼がぱっちりと大きくて華やかな美女、そこが細眼の多いクラナッハとは違い、女性美の意識は画家ごとに異なる

 

25 Velazquez : Portrait of Maria Anna 1629

マリア・アンナはスペインからオーストリア大公フェルディナンド3世に嫁いだ人、彼はハプスブルグ家の当主でハンガリー王でもあるから、彼女も「ハンガリー女王」である、いかにも王妃にふさわしい気品と威厳があるが、冷たくはなく親しみを感じさせる、さすがベラスケスの絵

 

26 Rubens : イザベラ王女の侍女の肖像 1623

スペインのイザベラ王女は夫とともにオランダの共同統治者でもあり、ルーベンスの庇護者であった、ただこの「侍女」の顔は、ルーベンスの愛娘で12歳で夭折したクララ・セレーナと言われている、最愛の娘を王女の「侍女」にしたフィクションは、彼の夢だったのかも

 

27 Vermeer : 青いターバンの少女 1666

少女の表情がとても瑞々しい、下唇が少し濡れている感じで、何か言いたいのか、視線も何かを訴えたいように見える、大きな真珠の耳飾りが光の反射で描かれており、透明な白が輝いて、ターバンの青と着衣の黄色との絶妙な均衡の中心にもう一つ光源があるかのよう

 

28 Ingres: オーソンヴィル伯爵夫人の肖像1845

新古典主義のアングルはこの時期、名声の頂点にあったが、彼の関心は歴史画にあり肖像画はあまり描いていない、詩人ボードレールはこの絵の「官能性」を称賛した、薄いブルーのドレスに彼女の肉体が輝いている

 

29 Manet : Horsewoman 1882

「乗馬服の女」だが乗馬ではなく立ち姿、しかしただ立ってはいても姿勢がぴんと張って美しい、マネの描く女性には、姿勢の張りとやや硬い端正な表情が美しいものが幾つもあり、さらにこの絵では、男性的な帽子や胸にのぞくハンカチが凛としてよく似合う

 

30 Boldini : Woman with black hat 1890

彼の人物画は、姿勢に動性があるのが特徴だが、こうした胸像でも、表情や視線のやや強い横向きや、帽子のウェーブなど、動きを感じさせる、描きかけのように見えるが、描き込まれた部分が手前に浮き出して、さらに動性が強まっているのかもしれない

 

31 Serebriakova : Helene de Rua, Princess Jean de Merode 1954

ジャン・ド・メロードとは、ベルギーの小さな公国を持つ貴族と思われる、そこの王女エレーヌ・ド・ルア、いかにも王女らしい上品なたたずまい、セレブリャコワの描く人物がいつもそうであるように、澄んだ眼が鑑賞者を見つめている