[読書] ジェイン・オースティン『エマ』(上下)
(中野康司訳、ちくま文庫、05年10月)
(挿絵は、ジェイン・オースティンの肖像。優雅で洗練された美しい女性だったと伝えられる。)
『エマ』がまた新訳された。『エマ』は、『高慢と偏見』とは少しタイプが違うが、素晴らしい傑作だ。美人で、お金持ちで、ちやほやされて育った、21歳のエマお嬢様が、他人の「縁結び」を色々と試みるが、ことごとく失敗するというラブ・コメディ。全編、微に入り細を穿った男女の「品定め」と、絶妙な会話が光る。少し意地悪で、めっぽう鋭い人間観察とユーモア。つねにハラハラ・ドキドキさせる物語の巧さ。『高慢と偏見』のようなキラキラと輝く感じは少し減るが、本当に楽しい小説だ。今読める邦訳は4つに増えたが、この新訳は情感表現が豊かで、読みやすい。
オースティンの小説は、女性が女性に向ける視線が特に鋭い。たとえば第20章。エマと同い年で、優雅と洗練の極み、ピアノも彼女よりうまい一番の美女、ジェイン・フェアファックスに対して、エマは強いライバル意識を持つ。
「みんなで音楽を楽しむことになり、エマも一曲弾いた。弾き終わると、ジェインはお礼と賞賛の言葉を述べたが、エマにはそれが、ジェインの優越感から来るみせかけの賛辞にすぎず、自分の演奏のほうがはるかに上だということを誇示しているとしか思えなかった。それに、エマとしてはこれがいちばん腹が立つのだが、ジェインは相変わらず冷たくて用心深かった。ジェインのほんとうの気持ちを知るのは不可能だ。礼儀正しさという仮面をつけて、ぜったい危険を冒すまいと決心しているかのようだ。いやになるほど警戒心が強くて、自分の心の内をぜったいに他人に見せようとしないのだ。」(上、258頁)
そしてエマは、自分が密かに恋心を抱いている美青年、フランク・チャーチルについて情報を得ようと、彼をよく知るジェインに尋ねる。
「フランク・チャーチルさんは美男子ですの?」とエマは聞いた。「とてもすてきな青年だと、みなさんおっしゃいます」とジェインは答えた。「感じのいい人ですか?」「みなさんそう思っていると思います。」「頭がよさそうですか? 教養がありそうですか?」「海水浴場やロンドンで少しおつきあいしただけでは、そういうことまでは分りません。・・・チャーチルさんは態度もとても感じがいいと、みなさんおっしゃっています。」 エマはジェインを許せなかった。[同259頁]
”絶妙にすれ違う会話”によって、当事者のキャラクターを生き生きと描き出すのが、オースティンの手法だ。この新訳では会話の発話主体を補っているからよいが、原作では、引用符の付いた会話文だけが並ぶ箇所は、一瞬、誰の発話か分らなくなることもある。当時それを指摘したイギリス人がいるらしく、オースティンは私信で「私はそういう頭の悪い人のために書いているのではありません」と言ったという。いかにも彼女らしい辛口。
彼女はある私信で、『高慢と偏見』のヒロイン、リジーは、「これまでの書物に登場した中でいちばん魅力的な人物」だが、エマは、「作者の私以外は誰も好きになれないようなヒロイン」だと述べている。でも、『エマ』にはドイツ教養小説的なところもある。夢想的で思い込みの強いエマお嬢様だが、失敗を繰り返しながら成長するところに好感がもてる。