[読書] 旧約聖書『出エジプト記』(岩波版、旧約聖書第2分冊)
(写真は、パピルスに描かれた古代エジプトの割礼。BC2350-2000頃の墓壁のレリーフにも、この絵とほぼ同じものがある。岩波版『レビ記』p285)
『出エジプト記』は謎が多い。特に主人公モーセをめぐる記述は辻褄の合わない部分が多く、出自の異なる伝承や文書が継ぎ足され、さらに編者が加筆したと考えられている。モーセは、生後3ヶ月でナイル河に捨てられているのをファラオの娘に発見され、不憫に思われて養子にされたとなっているが(2章1f.)、その出生からして怪しい。そしてモーセとヤハウェの関係も微妙である。もっとも奇妙なのは、「ヤハウェがモーセを襲う」次の一節だろう。
>途中、野営でのことである。ヤハウェがモーセを襲い、殺そうとした。ツィポラ[=モーセの妻]は尖った石を取り、自分の息子の包皮を切り、彼の両足に触れて言った。「あなたは私にとって血の花婿です」。ヤハウェは、モーセから身を引いた。そのとき彼女は言った、「割礼のための血の花婿です」。(4章24f.)
ここは、フロイトが特に注目する箇所だが(『モーセと一神教』ちくま学芸文庫、p48,79)、普通に読んでも、非常におかしい。なぜ、ヤハウェがモーセを襲って、殺そうとするのか? 岩波版の、聖書学者の注釈によれば、古代における旧約のギリシア語訳である「七十人訳」写本では、「ヤハウェ」が「主の使い」「使いの者」に変えられているものがあるそうだ。ヤハウェ自らがモーセを殺そうとするというのは、理解を絶しているからだろう。
話の内容も、かなりおかしい。注釈によれば、二行目の「彼の両足に」という語句の、「両足」は性器の婉曲表現だが、「彼」がモーセなのか息子なのかによって、二通りの意味になるという。(1)もしモーセなら、妻ツィポラが息子に割礼を施し、その血をモーセに塗って、過ぎ越しのときに血を柱に塗って殺害を免れたように、モーセをヤハウェによる殺害から守ったことになる。(2)もし「彼」が息子を指すならば、ツィポラは息子に割礼を施し、その血をヤハウェに見えるように塗った。なぜそんなことをするかといえば、モーセが結婚前に割礼を受けていなかったことがヤハウェを怒らせたので、息子に割礼を施すことによって、まだ割礼を受けていないモーセを、いわば象徴的に「血の花婿」にするためである。彼女の最後の言葉、「割礼のための血の花婿です」はそういう意味なのだ。(岩波版『出エジプト記』、p18)
だが、この注釈も分りにくい。新共同訳聖書では、「彼」を最初から「モーセ」と訳している。妻ツィポラの言葉、「あなたは私にとって血の花婿です」の「あなた」は、妻からみた夫、つまりモーセのはずだから、これが自然な読み方だろう。つまり、モーセがまだ割礼をしていないので、ヤハウェが怒ってモーセを殺そうとした。妻がとっさに息子に割礼をして、血をモーセの性器に塗って、象徴的にモーセに割礼をほどこしたという形にして、ヤハウェの怒りを鎮めたのである。
モーセは、生後三ヶ月でファラオの娘に拾われて育てられたのだから、まだ割礼をしていなかったというのも、たしかに物語的には整合的である。しかし、だからといってヤハウェがモーセを殺そうとするのは、明らかにおかしい。フロイトは、この第4章の一節について次のように語っている。
>ここはまったく特殊な暗闇に包まれた箇所なのだけれども、モーセが聖化された[割礼という]習慣をないがしろにしたために神は怒りモーセを殺そうとしたが、ミディアンの女であったモーセの妻が迅速に手術を行って危機に陥った夫を神の怒りから救った、と語っている。しかしこれらはすべて歪曲なのであって、惑わされてはならない。(『モーセと一神教』p48)
フロイトによれば、この箇所は『出エジプト記』に含まれる大きな秘密を隠蔽しようとして付加された、編者による苦心の細工なのだ。フロイトの大胆な仮説によれば、「モーセ」という名がエジプト起源であるだけではなく、モーセその人もエジプト人なのである。エジプトは多神教であったが、BC14世紀に、第18王朝のアメンヘテプ四世が、太陽神のみを認める一神教に転向し、エジプトの宗教全体を、新しい一神教に強制的に改宗させようとした。しかしアメンヘテプ四世のその試みは、子の世代を含めて数十年で挫折した(これは歴史的事実。『大英博物館・古代エジプト史』2009年、原書房、p51、p106f.)。フロイトは、エジプト国内では挫折した一神教確立の試みを、エジプト国外で何とか継承しようとした高位のエジプト人が、他ならぬモーセであると考える。そして、それがユダヤ人において実現する過程を記したのが『出エジプト記』なのである。
それは、エジプト起源の宗教であるから、ユダヤ人に移植するにあたって、大きな軋轢と摩擦、改変を余儀なくされた。まず、割礼は、古代以来のエジプトの習慣であり、ユダヤ人にはなかったものであるから、その習慣をユダヤ人に持ち込むことは、大きな摩擦を生み出したと考えられる。モーセはエジプト人だから割礼をしていたのだが、割礼がエジプト起源であることをユダヤ民族創生の神話に含めることは、ユダヤ人を冒涜することになるからできない。だから、『創世記』のアブラハムとの契約に、割礼の起源を遡らせて、それをユダヤ固有の習慣であるかのように見せかけた。そして、『出エジプト記』における上述の奇妙な箇所は(誕生の捨て子物語と合わせて)、割礼をしていなかったモーセが神の怒りをかったという物語をあえて捏造することによって、モーセのエジプト起源を隠蔽しようとする、苦心の作業の一環なのである。
フロイトの仮説によれば、モーセが再興しようとしたエジプトの一神教は、本来、太陽神信仰にもとづく理性的な神だったが、それをユダヤ人に広めることにモーセは失敗した。太陽神の代りに、当時のシナイ山周辺で信仰されていた多神教のなかの神の一人、それもかなり劣等な神であるヤハウェが、唯一神の位置におさまってしまった。『出エジプト記』のヤハウェがかなりおかしいのは、土着のローカルな神を唯一神の位置にバージョンアップしようという無理な仕立てを反映しているからだ。このように見るならば、エジプト起源のユダヤ教成立の葛藤を生々しく表現しているのが、他ならぬ『出エジプト記』なのであり、『創世記』はむしろ、民族創生の神話を整合的にするために事後的に創作された物語だということになる。このようなフロイトの構想は、たしかにとても面白い。