[読書] 旧約聖書『民数記』(岩波版、旧約聖書シリーズ第3巻)
(写真は、イスラエルの民がエジプトを出てから、死海の東を迂回してヨルダン河東岸に至るまでの40年の流浪の旅の推定経路)
モーセ五書の第四番目にあたる『民数記』は、ヘブライ語正典では、「ベミドバル」(=荒野にて)と呼ばれてきた。「シナイの荒野」からヨルダン川東岸の「モアブの平野」に落ち着くまで、40年間の荒野の流浪が主題だから。しかし、前2,3世紀のギリシア語『七十人訳聖書』では、「アリスモイ」(=「数」の複数形)と題されている。二度にわたる部族の人口調査が書かれているからだ。同じテキストでも、当事者のユダヤ人と、外部の読者を意識した『七十人訳』とでは、観点が違うわけだ。現在の英語タイトルBook of Numbersは、『七十人訳』の視点を継承する題名。日本語の『民数記』も、よく考え抜かれたタイトルだ。誰が考えたのだろう。
それにしても、本書は言ってみれば、“侵略と征服による建国の一大叙事詩”であり、20世紀の強引なイスラエル建国や現在でもパレスチナ問題の鍵である「West Bankヨルダン河西岸」という語の現代性を考えると、3000年近くを経ても微動だにしないイスラエル民族の“戦闘モード”の凄まじさには本当に脱帽する。1985年、ナチスのユダヤ人虐殺を謝罪したドイツ大統領ヴァイゼッカーの演説「荒れ野の40年」も、『民数記』に由来するタイトルだったが、『民数記』の現代性に驚かざるを得ない。
本書でもっとも印象的なのは、民衆が繰り返し神ヤハウェに反逆し、切れやすいヤハウェが民衆に与える罰の過酷さである。
>民は繰り返し、ヤハウェの耳に、激しく不平を言った。ヤハウェがそれを聞くと、彼の怒りが燃え上がった。すると、ヤハウェの火が彼らに対して起こり、宿営の端の部分を焼き尽くした。(11:1)
>[カナンの地の人間は巨人だったという偵察隊の報告を聞いて]、全会衆は悲鳴をあげ、民はその夜、泣き通した。イスラエルの子ら全員がモーセとアロンを非難し、全会衆は彼らに言った、「ああ、私たちがエジプトで死んでしまってさえいたなら[よほどましだった]。あるいは、この荒野で死んでしまってさえいたなら。なぜヤハウェは、私たちをこんな土地に連れて来て、剣に倒れさせようとされるのか。私たちの妻たちと幼子たちは捕虜になってしまうに違いない。私たちはエジプトに帰る方がよくはないか」。(14:1〜3)
>[それを聞いてヤハウェはモーセに言った]、この邪悪な会衆はいったいいつまで私に向って不平を言い続けるのか。イスラエルの子らの不平、すなわち彼らが私に対して不平を言い続けるのを、私はもう聞き飽きた。彼らに言ってやれ、『私は生きている――ヤハウェの御告げ――。お前たちが私の耳に告げたとおりに、私はお前たちに対して行う。まさにこの荒野に、お前たちの死体は倒れるであろう。・・・お前たちの息子は、四十年の間、荒野で羊飼いのようにさまよい歩き、お前たちの不信仰の報いを負うことになる。お前たちがあの土地を偵察した日数、すなわち四十日間に基づき、一日をそれぞれ一年として、お前たちは四十年の間、お前たち自身の罪責を負わなければならない。こうしてお前たちは、私に逆らうとどうなるかを知るであろう。私ヤハウェがこう告げたのだ』」(14:27〜35)
40年という苦しみの期間は恣意的なものだ。1日を1年に換算するというヤハウェの"悪意"にしか、その根拠はない。とはいえ、ヤハウェとともにエジプトを出た人間の世代はほとんど死に絶え、その子供たちの新しい世代に交替した。40年前に反逆した民へのヤハウェの「処罰」が終わったのだ。それにしても、何でこんなに過酷なのか? 『出エジプト記』の考察で見たように、エジプト人モーセの指導によるイスラエル民族における一神教確立というフロイトの仮説に立つならば40年という時間ギャップはよく理解できるのではないか。イスラエルの民がヤハウェに容易に従わないのは、ヤハウェが本来は多神教の中のone of themの野蛮な神であり、またモーセもユダヤ人ではないので、ヤハウェ×モーセ×イスラエルの民という外的な三者の間の葛藤が、信頼と信仰の関係に変るまでには長い時間を要したはず。モーセ・エジプト人説については本ブログ参照↓。
http://d.hatena.ne.jp/charis/20100727
また、先住民との和解がなく、完全制圧による殺戮もすさまじい。ホメロスの『イリアス』では、他国民を征圧しても、これほど過酷ではなかった。勝った側が敵王の娘(王女)や支配層の妻や娘を愛人にする話や、「いい女をアガメムノンに取られた」と英雄アキレウスがすねるとか、女をめぐる男たちの争いの物語が『イリアス』にはあるが、『民数記』での征服譚には、そんな大らかな(?)お話はない。成人女性は全員殺してしまう。
>イスラエルの子らは、ヤハウェがモーセに命じた通り、ミディアンに向って進軍し、成人男子はすべて打ち殺した。・・・彼らはまた、ミディアンの女たちと幼子たちを捕虜とし、彼らのすべての財産を奪い取った。また、彼らの居住地にあったすべて町と彼らのすべての宿営地を、彼らは火で焼いた。・・・[それに対して、ヤハウェの指示を受けた]モーセは彼らに言った、「あなたたちは、女たちをみな生かしておいたのか。・・・さあ、幼子たちのうち、男子は皆殺しにし、男と寝て男性経験のある女も皆殺しにしなさい。だだし、女たちのうち、男と寝た経験のない少女たちだけは、すべてあなたたちのために生かしておきなさい。(31:7〜18)
とはいえ、他民族では必ずしも一般的とはいえない、女子による土地相続なども「律法」として規定されており、『民数記』では、古代イスラエル民族が国家としての形態を整えてゆく過程で、それに対応した「律法」が作られてゆく経過がよく分る。