今日のうた(87)

charis2018-07-31

[今日のうた] 7月10日〜31日

(写真は、飴山實1926〜2000、朝日俳壇選者をつとめ、化学者でもあり山口大学教授)


・ 金魚屋のとどまるところ濡れにけり
 (飴山實『少長集』1971、こういう金魚屋は今もいるだろうか、大きめのリアカーに水槽をたくさん載せて、水面を揺らしながら金魚を運び、そして売る、どうしても水が垂れてしまうから、「とどまるところは濡れる」のだ) 7.1


・ 来る水の行(ゆく)水あらふ涼(すずみ)かな
 (服部嵐雪、夏の京都の賀茂川の橋の上から詠んだ句、「賀茂川は浅い、水の動きがよく見える、前を流れていく水を後ろからくる水がまるで「洗ふ」ように次々に追っていく、涼しげだなぁ」) 7.2


・ ともだちの流れてこないプールかな
 (宮本佳世乃『きざし』2010所載、作者は小さな子どもたちを連れて、遊園地の大きなループ型の流れるプールへ行くことが多いのだろう、しかし今日は、普通のプールに連れて行った、「あれっ、ともだちが流れてこない」と子どもたちが言う) 7.3


・ 人はみな馴れぬ齢(よわい)を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
 (永田紅『日輪』2000、東直子のコメントによれば、人は誰でも自分の現在の年齢は初体験のもので(それ以前はもっと若かったから)、その「慣れない年齢」を生きている、この前半と後半のユリカモメの取り合せがいい) 7.4


・ 透けるほど空が明るい今朝 下を見降ろすためにカーテン開ける
 (馬場めぐみ2011、作者は高層マンションに住んでいるのだろうか、低い所に住んでいる人よりも、おそらく毎朝が明るいだろう、まずはカーテンをあけて街と人を見たい) 7.5


・ 通過電車の窓のはやさに人格のながれ溶けあうながき窓みゆ
 (内山晶太『窓、その他』2012、駅のホームを快速電車が通過するのは、視覚的にも面白い、ある程度混んでいても電車の向こう側の風景は見えるが、車内の一人一人は識別できない、たしかに「人格が流れ融け合う長い窓」である) 7.6


・ 恋すてふてふてふ飛んだままつがひ生者も死者も燃ゆる七月
 (吉田隼人『忘却のための試論』2015、蝶やトンボは交尾しながら飛ぶこともあるらしい、作者は火葬場のそばで見たのだろうか、交尾も火葬も生命あるものにとって厳粛な瞬間) 7.7


・ 海開その海にゐる人々よ
 (佐藤文香『海藻標本』2008、海水浴場が「海開き」をする日は、ハイシーズンより少し前なので、たいがい寂しい、実際に泳ぐ人がほとんどいないこともある、だからその時「その海にゐる人々」はいとおしい、最近は海水浴人口も減っているという) 7.8


・ 行水の湯の沸きすぎてしまひけり
 (久保田万太郎、昔は、子供はよく大きなタライで行水をした、水だけだと冷たすぎるので、ぬるいお湯を使ったりもするが、「沸きすぎちゃう」こともある、でも現代のシャワーだって「うわっ、熱っ」となることもある) 7.9


・ 母とあれば訛り出やすし夕涼み
 (大串章、ひさしぶりに故郷に帰ったのだろう、夕涼みしながら母と話が尽きない、母といると気持ちがリラックスして、ふだんはなるべく出さないようにしている「訛り」が自然に出てきてしまう) 7.10


・ 大ほたるゆらりゆらりと通りけり
 (一茶『おらが春』、かなり大きな蛍なのだろう、どこを通っていくのか、「ゆらりゆらりと」ゆくのがいい) 7.11


・ すゞしさや朝草門ン(もん)に荷(にな)ひ込む
 (野沢凡兆『猿蓑』、夏の早朝、刈り取られたばかりの青々とした草が、門の中へ運び込まれる、草は露に濡れてゐるだろう、涼しげな光景だ) 7.12


・ おもしろきこともなき世をおもしろく住みなすものは心なりけり
 (高杉晋作1339〜67の辞世の歌、死を前にした高杉晋作が詠んだ上の句に、看病していた野村望東尼が下の句を付けたと言われている、上の句だけでも辞世の句になるが、全体としても味のある歌) 7.13


・ 例えば 羊のようかもしれぬ草の上に押さえてみれば君の力も
 (平井弘『顔をあげる』1961、作者1936〜は早くから口語調の歌を作った人、この歌も、よく分からないが何だか面白い、「君」を草の上に押さえつければ、羊のようにおとなしくなるだろう、の意か、「君」とは誰だろう) 7.15


・ 朝つゆによごれて涼し瓜の泥
 (芭蕉1694、「やっ、畑に真桑瓜があるぞ、わずかに付いた土が黒々としている、朝露にしっとり濡れて涼しそうだな」、早朝、畑に出て「朝つゆ」のついた瓜を見ているのか) 7.16


・ 夢よりも貰ふ吉事や初茄子(なすび)
 (蕪村、弟子の高井几董から初物の茄子を送られ、御礼の句、「茄子の夢を見ると良いことがあると言いますが、このように本物の茄子をいただく方が、ずっと嬉しいですね」) 7.17


・ これはもう裸といへる水着かな
 (大野朱香、水着がどんどん小さくなっていった頃か、ちょっと戸惑っている作者は1955年生まれの俳人、今はもう「裸に近い水着」に驚く人はいない) 7.18


・ ずっと片手でしていたことをこれからは両手ですることにした夏のはじまる日
 (フラワーしげる『ビットとデシベル』2015、作者1955〜は作家、翻訳家でもある、老いの自覚ではないだろう、ぞんざいにしていたことをきちんとした姿勢でやるということか、何についてなのか謎なのがいい)  7.19


・ おーと言うそのまわりではあーと言う生徒そこから離れて教師
 (浦島ナポレオン銀行・男・32歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「何が起きたのかはぜんぜんわからない。でも、その場の雰囲気はとてもよく伝わってきます」と穂村弘評、授業参観なのだろうか) 7.20


・ 会議室ここが無人島だったなら誰と繁殖しようか迷う
 (奥村知世・女・29歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「会議中の妄想ですね。どの人も気が進まないけど強いて云えば・・・的な。「繁殖」という言葉の選び方がいい」と穂村弘評)  7.21


・ 森動く睡蓮の池動かざる
 (森玲子、「大きな池の向こうにある森の木々が、風で激しく揺れている、でも池の水面にぴったり張り付いた睡蓮の花は、微動だにしない」、睡蓮の花の「動かない」美しさが際立つ、構図の大きな叙景の句) 7.22


弓道ルピナス畑とほりゆく
 (鈴木太郎、ルピナスは多数の紫色の花がびっしりと、1メートル近い柱のようになって咲く、その脇を、長い弓を持った弓道部の生徒たちが通り過ぎてゆく、垂直的な軸が地上をスライドしてゆく美しい光景) 7.23


・ 紫蘇の葉や裏ふく風の朝夕べ
 (飯田蛇笏、シソの葉は柔らかいので、風が吹くと翻ったり裏返ったりする感じになります、朝夕の「裏ふく風」という表現が卓越) 7.24


・ よられつる野もせの草のかげろひて涼しく曇る夕立の空
 (西行『新古今』、「炎天によじれて細くなっていた野原の草が、急に陽が陰って暗くなった、なんか涼しくなって、夕立が降りそうな雲行きだ」、当時は一般に気温はどうだったのか、現代の高温化した夏ではなかなかこうはいかないかも) 7.25


・ おのづから涼しくもあるか夏衣日も夕暮れの雨のなごりに
 (藤原清輔『新古今』、「なんだか自然に涼しくなったよ、夕立が降ったあとの余韻があるなぁ、夏衣の紐を結び直そうか」、「日も夕」に「紐結う」が掛けられている、が、これも現代の高温化した夏ではなかなかなさそう) 7.26


・ いづちとか夜は螢の登るらむ行く方(かた)しらぬ草の枕に
 (壬生忠見『新古今』、「夜、あの蛍は、いったいどこへ行こうとして、高く飛んでゆくのだろう、あてのない旅をしながら、夜、草を枕に臥している私みたいなのだろうか」) 7.27


・ 競泳の水底といふ四角かな
 (佐藤文香『海藻標本』2008、泳いでいた選手たちがプールサイドにあがった直後だろう、水だけがまだ揺れながらプールに残されている、人がいなくなって初めて、プールそのものに意識が向かう) 7.28


・ 大雨のあと浜木綿に次の花
 (飴山實『次の花』、ハマユウは夏の海辺などに咲く花で、本居宣長はこの名の由来について、「白く垂れる花の姿が木綿(ゆう)に似ているだろう」と述べている、大雨の後、新しく咲いたハマユウは一段と美しい) 7.29


・ 無職なり氷菓溶くるを見てゐたり
 (真鍋呉夫『花火』1941、「氷菓」とはアイスクリームのこと、失業し、無職になると、自分が何者でもなくなってしまったような気がして、元気がなくなる、ぼーっとしていることが多い、目の前のアイスクリームが溶け始めても、すぐに手を付けられない) 7.30


・ 富士山頂吾が手の甲に蝿とまる
 (山口誓子『不動』1977、富士山頂といえば夏でもかなり温度は低いだろう、そこに蠅がいたという驚き、それはそうと、富士山頂はともかく都市部において、最近は蠅そのものが減った、そのうち蠅を見るのも珍しくなるのだろうか) 7.31