今日のうた(136)  8月ぶん

今日のうた(136)  8月ぶん

 

みんな詩を書くのがすきでわがままでみんな蛍を見たことがない (湯島はじめ「東京新聞歌壇」7月31日、東直子選、小学生だろうか、誰も蛍を見たことがないけれど、「蛍」の詩をじゃんじゃん書いている、ちっとも悪いことじゃない、江戸時代の邦画家だって見たことないゾウやライオンを描いた) 1

 

五十年使い続けた国語辞書「過密」はあれど「過疎」なきを知る (河尻伸子「朝日歌壇」7月31日、佐佐木幸綱選、「この半世紀の日本を考えるとき「過密と過疎」がキーワードの一つなのかもしれない」と選者評) 2

 

粗熱を取るかに夕立過ぎにけり (菊地壽一「朝日俳壇」7月31日、小林貴子選、「料理の手順に「あら熱を取る」があるが、夕立がそんな感じで通り過ぎたとは、合点」と選者評) 3

 

蝉の穴もどりくるものなかりけり (折戸洋「東京俳壇」7月31日、石田郷子選、「こう言われるとなんだかとても不思議なことのように思われる。羽化したら二度と戻ることはない。人間と違って家を持つことがない生き物たち」と選者評) 4

 

皿鉢(さらばち)もほのかに闇の宵涼み (芭蕉1694、「日はとっぷり暮れて、すっかり暗くなったなぁ、真っ白な皿鉢が闇の中に白く浮かび出ているのが、ほの見えて、ことさら涼しく感じられるよ」、闇の中に浮かんだ皿鉢の白さという視覚状況が涼しさを呼ぶ、この秋に芭蕉は没した) 5

 

水打てや蝉も雀も濡るるほど (榎本其角、「(夏の暑い日の夕方、私は弟子の家に招待されると、奥さんが打ち水をしてくださる)、いやぁ、打ち水はいいですね、涼しいなぁ、樹に止まっている蝉も雀もびっしょり濡れるくらい、じゃんじゃん水をかけましょう!」、其角らしい威勢のよさ) 6

 

水深く利鎌(ときかま)鳴らす真菰刈(まこもかり) (蕪村『句集』、「鎌が水を離れる瞬間、水が吹き上がるのと一緒に「シャッ」という切れ味鋭い音がする、水中のかなり深くから、水を切るようにして、丈の高い真菰を切り出しているんだ、すごい」、鎌が水を切る音を鋭く詠んだ) 7

 

いざいなん江戸は涼みもむつかしき (一茶1812『七番日記』、「いなん」=「帰ろう」、50歳の一茶はまだ独身、江戸の暮らしも生きにくくなってきた、俳句で身を立てる目途もつかず、いよいよ故郷の柏原に帰りたくなった、翌年ついに帰郷して結婚する) 8

 

蝋燭を一つ点(とも)して恐ろしきわれらが閨をうかがひにけり (北原白秋『桐の花』1913、当時26歳の白秋は隣家の人妻である松下俊子と激しい恋に陥った、「われらが閨」とは白秋の部屋か、このあと「君へす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」の後朝の別れとなる) 9

 

はつはつに触れし子ゆゑにわが心今は斑(はだ)らに嘆きたるなれ (斎藤茂吉1913『赤光』、「おひろ」と題した相聞歌群の一首、「おひろ」は長野県出身の少女、ある日突然郷里に帰ってしまった、別離の悲しみの中で彼女を回想する、「ちょっと触れた」だけで恥ずかしがる可憐な少女だった) 10

 

生きのこるわれをいとしみわが髪を撫でて最期(いまは)の息に耐へにき (吉野秀雄1944、吉野の妻「はつ子」は胃がんで亡くなった、その病床のベッドで死の直前、彼女は、作者を「いとしみ」、作者の「髪を撫でる」ことによって、自分の「最期の息」=苦しい呼吸に耐えようとした) 11

 

どのように窓ひらくともわが内に空をなくせし夏美が眠る (寺山修司『空には本』1958、新婚の妻「夏美」を詠んだ瑞々しい愛の歌、朝目覚めて「窓を思い切って大きく開いた」が、ベッドに「眠っている夏美」は目を覚まさない、夏美は「わが内に空をなくして」夢の中にいる) 12

 

夜更けて一途にものを書きつげる夫の肩のへはつか息づく (河野愛子『木間の道』1955、新婚の夫を詠んだ瑞々しい愛の歌、深夜まで「一途にものを書き継いで」いる夫、その脇にじっと座って見詰めている私、張りつめていた夫の「肩の辺がわずかにゆるんだ」、終わったのかしら) 13

 

小心に愛したと奴は言うんですよ 快き誤解とおもうが如何に (岡井隆『斉唱』1956、未来短歌会の福田節子という若い歌仲間が夭折した、歌人の相良宏は彼女を追悼する歌で、「僕も岡井さんも貴女を小心に愛していました」と詠んだ、しかし岡井は「それは誤解だよ」と優しく相良を慰めた) 14

 

年を経て相逢ふことのもしあらば語る言葉もうつくしからむ (尾崎左永子『さるびあ街』1957、若い作者が夫と離婚するときの歌、「うつくしくない言葉」で激しい遣り取りがあったのだろう、「もし年取って逢う時があれば、私たち美しい言葉で語り合えるのかしら」と、悲しい別れ) 15

 

濃き日蔭ひいて遊べる蜥蜴かな (高濱虚子1927、真夏の照りつける太陽の下では、トカゲも下に「濃い影」が映る、その濃い影も一緒に遊んでいるごとく活発に動くから、全体の動きがとても速くて面白い) 20

 

一角の稲妻天を覆はざる (山口誓子1944『激浪』、いかにも誓子らしい句、「天の一角」に強い稲妻が光ったのだろう、一瞬「天を覆う」かと思ったが、ちょっと足りなかった) 21

 

月光にいのち死にゆくひとと寝る (橋本多佳子1937『海燕』、この年の9月、38歳の多佳子は夫の橋本豊次郎50歳を失う、豊次郎は小倉の櫓山荘を設計した建築家、作者には4女が残された、この句は夫との愛を詠んでおり、後年の「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」1948を思わせる) 22

 

灼け灼けし日の果電車の灯もかがやか (中村草田男1941『来し方行方』、「灼熱のような太陽が照った真夏日も暮れて、西の空は夕焼けが美しい、そして、やや薄暗い地平を走る電車の灯が輝いている」、東京の夏のある日の夕暮れ) 23

 

ひぐらしに真近く浴み了るひと日 (飯田龍太1949『百戸の谿』、「夕方、風呂場からは見えないが、ごく間近で蝉の「ひぐらし」が鳴いている、ゆったりとした気持ちで湯浴みを終え、こうして一日が終る」) 24

 

白桃や満月はやや曇りをり (森澄雄『雪櫟』1954、「目の前に白桃が置かれ、そして空には満月が見えている、両者が同時に視覚されると、互いに影響を与えるのだろうか、くっきりと明るい白桃に対して、満月は「やや雲って」いるように見える) 25

 

梓弓末(すえ)に玉巻くかく為為(すす)ぞ寝なな成りしに奥を兼ぬ兼ぬ (よみ人しらず『万葉集』巻14、「僕は、梓弓の先に玉を巻くように大切に大切に君を扱って、まだ寝ることもないままにここまで来たのも、君と結婚しようと先々のことを考えればこそなのに、あぁ、君は別の男に寝取られてしまった」) 26

 

いで我を人なとがめそ大舟のゆたのたゆたにもの思ふころぞ (よみ人しらず『古今集』巻11、「心が揺れに揺れて、まったく落ち着かない、そんな僕だけど、どうかとがめないでください、貴女を激しく恋していればこそ、大きな船が波に揺られるように、こんなに激しく揺れているのだから」) 27

 

狩り人はとがめもやせむ草しげみあやしき鳥の後の乱れを (相模『千載集』巻15、「元カレの貴方が、私が別の男性と付き合っていると聞いて、文句を言ってきたけど、今付き合っている新しい彼氏はきっと言うわよ、貴方の手紙のこの乱れた筆跡は、鳥の足跡のように見苦しいネって」) 28

 

水の上のはかなき数も思ほへず深き心し底にとまれば (村上天皇新古今集』巻15、参内した女御が帝の態度を憤って帰ってしまったのに弁解した歌、「昔の人が、水面に浅く字を書くのは難しいと嘆いたのは、大したことじゃありません、貴女を思う私の心は深い水底にあるのですから」) 29

 

今はとて行く折々し多かればいと死ぬばかり思ふとも見ず (和泉式部『家集』、「焼きもち焼きの貴方は、「これが最後だ、もう君には会わぬ」と言って出て行ったかと思えば、「死ぬほど君が気がかりだ」とか手紙をよこすわね、ホントに死んだのかと思えばいつも生きてるじゃない、なによ」) 30

 

袖の色は人の問ふまでなりもせよ深き思ひを君し頼まば (式子内親王『千載集』巻12、「たとえ私の袖が、貴方を思って泣く涙にそまって色が変り、人が怪しんで尋ねることがあっても、かまいはしません、もし貴方が私の深い思いを本当に分かってくださるのならば」) 31