[読書] 古市剛史『性の進化、ヒトの進化』(朝日選書 1999)
(写真:ボノボの集団は、メスと子供たちがつねに中心にいる。ボノボの群れでは、高位のオス同士がケンカすると、ただちにそれぞれの母親がかけつけて加勢し、ときには母親同士が戦いを代わって引き受ける。群れの第一位のオスになるには、強い母親の後ろ盾が条件であり、ボノボ社会ではメスが大きな力をもっている。本書p174)
もちろん、ヒトはボノボ「から」進化したわけではない。500〜700万年前に類人猿からヒトの祖先が分岐し、残った類人猿がさらに分岐して進化したのがチンパンジーとボノボである。だが、三者の現在の姿がそれぞれ「平行進化」した結果だとしても、それらを比較する意味は大いにある。ヒトとチンパンジーの遺伝子の塩基配列の違いは1%強しかない。生物学的にもっとも近い構造をもつ動物同士を比較することは、「生殖」という生物に固有の活動、すなわち子供を産み育てて生命を次世代に受け継いでゆく活動を理解する上で、きわめて有益である。「性」の進化とヒトの進化が不即不離の関係にあるという古市氏の視点は、考えてみれば当然のことなのである。
ヒトの起源は二本足歩行にあるのだが、二本足歩行は、言語や道具の発展とただちに結びつくものではない。類人猿と同様に食料採集によってのみ生命を維持できるヒトの祖先は(狩猟はまだできないし、言語能力もたいしてない)、環境が熱帯雨林からサバンナに変わる中で、オスが食料を遠方から運ぶ半定住形態を取るというその一点において、食料を求めて毎日群れが移動するチンパンジーやボノボと異なるのである。しかし、ヒトの群れが半定住形態を取ることは、無前提に可能だったわけではない。メスの発情形態や群れにおけるオス・メスの関係などが一定の可能性を満たさないと、おそらくそれは不可能であった。その点で、ボノボがチンパンジーと大きく異なるという事実が、重要な手掛りになるのである。
熱帯雨林からサバンナという悪い環境に変わったヒトの祖先にとって、もっとも重要な課題は、熱帯雨林に適応してすでに少子少産になってしまったみずからの身体が、どのようにして次世代を再生産し、人口を維持するかということであった。それができなければ絶滅してしまう。そのような困難な課題を解決する唯一の決定的な手段は、オスのエネルギーを結果として育児のエネルギーに振る向けることであった。これは、オスが直接にメスの育児を「手伝う」ということではない。チンパンジーやボノボでは、オスもメスも食料は自分で採集するのが原則である。他の個体が採集した食料を分けてもらうことは、特別の場合を除いてない。だからメスは、自分の個体の食料採取の上に、子育てという二重の労苦を負っている。もしここに、オスが食料を外部からメスに運んでくるというまったく新しい方式が成立するとすれば、それはメスの育児を援護することになり、オスのエネルギーが間接的に育児に振り分けられることになる。二本足歩行によって、「手」を使って食料を遠くから運ぶことが、ヒトの「生殖」のエネルギー分配にとって決定的だったのである。とはいえ、オスが採集した食料を自分が食べてしまわずに、キャンプで待つメスに持ち帰るためには、オスとメスの安定した関係ができていなければならない。そのためには、集団の中でメスの力が大きくなって、交尾に関してメスが主体性をもつことが決定的に重要になる。その点で、メス優位のボノボ社会が存在することが、大きな示唆を与えてくれるわけである。コンゴのワンバ村で、15年にわたってボノボを観察した古市氏は次のように述べている。
>なかでも重要なのは、高順位のオスによるメスの支配が起こるかどうかにある。メスがたまにしか発情しないチンパンジーでは、オスの数が発情メスの数を大きく上回り、オス間の性的競合が激しい。そのために、高順位のオスが優先的に発情メスとの交渉をもち、低順位のオスたちは、高順位のオスの目を盗んで一瞬のうちに交尾を済ませたり、メスと一緒に集団を離れて交尾したりする。このような状況では、特定のオスとメスが安定した性関係を持つことはできない。すべてのメスが第一位のオスとだけ性交渉をもつというのであれば、それはそれで安定した性関係になるが、それでは多くのオスのエネルギーを育児に取り込むことはできない。(p239)
オスのエネルギーを育児に取り込むためには、オスとメスの安定した性関係ができなければならない。チンパンジーにはそれが不可能だが、ボノボではニセ発情があるためにメスの主体性がかなり高く、オトナの高位のオスが強い母親の援助を受けるというように、オスとメスの対等な関係が実現していた。生物のそのような可能性の延長上に、ヒトもまた成立した。ヒトの女性に発情期がなく、つねに性交可能な状態にあることは、多数のオスの性的活動を分散させるから、男女が特定のパートナーと安定的な性関係をもつことを可能にする。このようにして初めて、オスのエネルギーが間接的にメスの育児に回り、ヒトの祖先はサバンナを生き延びることができた。オスのエネルギーが育児に回らない限り、メスは次世代の再生産ができず、ヒトは存続できないのである。このように考えると、現在の、男女共同参画社会や、男性の育児休暇取得促進、あるいはライフワークバランスといった問題は、文化的・社会的な次元のように見えはするが、600万年前にヒトの祖先が直面していた問題と共通点を持っているのである。[終]