[読書] 古市剛史『性の進化、ヒトの進化』(朝日選書 1999)
(写真はボノボ。チンパンジーに近いが別種。20世紀の発見で、アフリカのコンゴに約2万匹が生息。生殖と無関係なコミュニケーションとしての多様な性行動が、人間とよく似ている。そのことが、ヒトの起源について重要な示唆を与える。)
新刊ではないが、とても興味深い本だったので、重要な論点をメモしてみたい。ヒトの起源についての探究は、アフリカにおける化石の発見や、たんぱく質分子の構造分析によって進化の系統樹が確定するなど、20世紀の最後の20年間に大きく進展した。著者は、京大霊長類研究所のボノボやチンパンジーの生態観察にもとづいて、「性」という視点からヒトの起源を説明する。化石やたんぱく質の分析、そして動物行動学の知見から、ヒトの起源や進化についてどの程度の見通しが得られるのか? また、性行動の観点から、チンパンジー/ボノボ/ヒトの違いを考察することによって、「メスの出産と育児」が進化の方向を決めたという結論が得られたが、それは現代におけるジェンダーとセックスをめぐる論争にも関わってくる。このような点で、本書はきわめて示唆に富む論点を提示している。
類人猿からヒトが分岐したポイントは、二本足による直立歩行にある。1970年くらいまでの見解では、直立歩行によってヒトは「手を自由に使える」から、それがさまざまな道具の使用を促し、それが複雑な思考と言語の使用を発展させて、その結果ヒトは類人猿とは異なる大きな脳を進化させて人間になったという、「目的論的な物語」が漠然と信じられていた。しかし、この説は事実によって否定された。400万年前のヒトの化石が発見され、二本足歩行であったにもかかわらず、チンパンジーやゴリラと変わらぬ小さな脳しか持っていなかったからである。250万年前のアウストラロピテクス属の発掘からは、大きな脳をもつ頭骨も、道具も狩猟の跡も一切出てこない。そもそもチンパンジーも、枝や石などきわめて多様な道具を使う。しかし石器のように、石(=道具)によって石を削って作った二次的道具こそが、ヒトの道具の特徴である。そのような道具をヒトが使うようになったのは、ヒトが誕生して250万年もたっている。大きな猛獣を捕らえるなどの本格的な狩猟は、わずか10万年前のホモ・サピエンスの時代からである。
要するに、ヒトが類人猿から分岐したと考えられる700〜500万年前から、ヒトは二本足歩行だったにもかかわらず、道具も使わず、小さな脳しかなく、したがって高度な言語も使わない状態で、少なくとも250万年を過ごしてきたわけである。とすれば、類人猿とヒトを分岐させ、ヒトをヒトの方向へ進化させた要素は、道具や言語ではないことになる。では何だったのか? それはヒトがもつ独自の生殖行動、つまり出産と育児に関わる新しい方式が、新しい集団を成立させた点に求められる。そして、ヒトの生殖行動の独自性は、チンパンジーやボノボの生殖行動と丁寧に比較することによって初めて明らかになるのである。
まずチンパンジーの集団の特徴は、メスは排卵期しか発情しないので、発情期が全体としてごくわずかしかないという点にある。チンパンジーのメスは、妊娠・出産し、赤ん坊が乳離れするまでの約6年間、まったく発情しない。したがってオスとの交尾もない。出産したメスは、群れから少し距離を置いて単独で子供を育てる。その結果、チンパンジーの集団は、たくさんのオスの中に、ちょうど発情して交尾が可能な少数のメスしかいないことになる。その結果、オスたちはその少数のメスと交尾するために緊張度の高い闘争がつねに生じている。高位のオスたちは劣位のオスがメスと交尾しないように絶えず監視しており、その結果、チンパンジー集団は全体としてきわめて攻撃的で、殺し、あるいは他の集団の殲滅なども生じる。
これに対して、種的にはチンパンジーに近いボノボは、性行動がまったく違う。メスには、排卵期以外にニセ発情という現象があるからだ。ボノボのメスの発情は、膣の外側にある性皮が大きく膨らむので、外見ですぐ分かる。ところが排卵期でない時期にも、授乳や子育て中にも、メスは性皮が膨らむので、オスは、本物の発情したメスとニセ発情のメスとに囲まれていることになる。その結果、ボノボのオスはチンパンジーと比べて、メスとの交尾がずっと容易になる。つまり発情したメスをめぐる闘争がほとんどないので、ボノボの集団はとても穏やかで全体が「まるくなって」いる。チンパンジー集団のように尖がっていないのだ。出産したメスは、群れから出ずに、赤ん坊を抱いたまま集団に留まる。生殖につながらないニセ発情があるために、人間の同性愛のようなことも頻繁に生じる。メス同士が性器と性器をこすりつけて抱き合う「ホカホカ」は、日常茶飯であり、相手とのコミュニケーションとして行われている。オスにも同様なことがあるだけではなく、頻繁に行われる交尾にはいつも子供がそばにいるので、子供も大人のオス・メスの性行動をつねにシミュレーションするという学習がなされている。
もっとも重要なことは、ボノボではチンパンジーと違って、メスが交尾相手のオスをある程度選べるという主導権をもつ点にある。チンパンジーの場合は、発情したメスが少ないので、オスとメスの比率からするとメスが優位なように思われるかもしれないが、そうではない。オス同士の戦いで高位のオスが自動的に決まってしまい、メスには交尾相手のオスを選ぶ余地は残されていない。それに対してボノボでは、オスの高位者は一応いるのだが、オスはメスの本物の発情とニセ発情の区別がつかず、交尾の機会はずっと多いので、高位のオスが交尾を独占することもない。メスも、求愛してきたオスの交尾を拒む自由が生じ、自分の好みのオスと交尾するという主導権を手に入れる。その結果、オスは、自分の希望するメスに交尾してもらうために、メスにさまざまなサービスをして「やさしく」振舞わなければならない。要するに、人間に近くなるわけである。
チンパンジーとボノボの比較から分かるように、オスとメスの交尾をめぐる力関係を決めるポイントは、メスのニセ発情によって交尾の機会が増えたことにある。すると、ニセ発情でもよいから、つねに発情らしく見えれば、メスにはさらに有利になることが分かる。このように考えるならば、ヒトの女性には排卵に伴う発情期がまったくなく、常に性交が可能な状態にあることが、進化論的に重要な意味をもっていることが分かるだろう。[続く]