野田秀樹『逆鱗』

charis2016-02-12

[演劇] 野田秀樹『逆鱗』  2月12日 池袋・東京芸術劇場


(写真右は、人魚たちの踊り、下は、人魚の松たか子、そして主な登場人物たち、写真は日経新聞のHPより借用しました)


野田秀樹の演劇を観るのは久しぶり。想像力の炸裂が生み出す生き生きとした舞台が野田劇の持ち味だが、この『逆鱗(げきりん)』も、神話的なファンタジーによって戦争を批判する、いかにも野田らしい美しい舞台だった。何よりも、生粋のファンタジーである「人魚」を、かの帝国海軍に実在した「人(間)魚(雷)」の短縮名とみなす、そのメタファーの怪力に驚かされる。


人魚を生け捕りにして水族館で飼おうという人間たちのドタバタ劇が前半で、遊びや笑いに溢れる野田劇らしい疾走感はあるが、やや散漫な印象を受ける。それが後半に入り、人魚を捕まえる「鵜飼」たちが、人間魚雷「回天」の特攻隊員たちに変身するあたりから、笑うことのできない悲劇に転調する。他者の思考が読み取れるという水族館上司の「特技=読心術」は、笑いを取るネタだったが、それが最後には、特攻隊員たちが自分の思いを正直に語れないように金縛りにする特攻隊上官の「特技」として機能する。心凍るシーンだが、このような独創的な異化効果を作り出すのは、劇作家としての野田の天才を表すものだろう。このシーンまできて、前半の水族館シーンから繰り返されたコミカルな「自発的志願」の意味が、特攻隊員のそれの伏線であったことが分かる。また、水族館シーンの時から、どこで誰が決定したのかよく分からないままに、重大な決定・命令が「上から降りてくる」のも、天皇制における「無責任体制」による戦争遂行の伏線であったことが分かる。そして、母のメタファーである鰯ババアの「子供が先に死ぬ」という科白も。「その瞳は透き通っている」も。


ドタバタ喜劇調から悲劇への劇的転換は非常に見事なのだが、違和感を一つあげれば、「人魚」が「人間魚雷」の短縮形であるというのは、余りにもストレートな「言葉遊び」で、分かりやす過ぎるメタファーではないのだろうか。野田劇で私が一番好きなのは『パンドラの鐘』で、今回と主題の共通性もあるのだが、そこでは、もっと多重なメタファーが幾つも折り重なっていたように思う。その「分かりにくさ」も大切な要素であって、『逆鱗』の「分かりやすさ」は、やや造りを単調にしてしまったように思う。


俳優は、松たか子のキレのある声が魅力的だった。『十二夜』のヴァイオラ、アヌイ『ひばり』のジャンヌ・ダルクにも感じたのだが、松たか子の少年のような美しさは、『逆鱗』の人魚にもぴったりだと思う。神話的な「戦闘美少女」に、はまり役なのだろう。あと、水族館の上司であり特攻隊の隊長役である阿部サダヲ、その上司でもある水族館長役の池田成志が、ともに素晴らしかった。


下記に3分ほどの動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=VCqJezwlmVI