今日のうた80(12月)

charis2017-12-31

[今日のうた] 12月ぶん


(写真は坂口弘1946〜、逮捕の瞬間、連合赤軍事件で逮捕され、死刑判決を受ける、獄中でたくさんの短歌を詠み朝日歌壇に投稿)


・ ふくろふのふくらめばおほきさがよい
 (佐藤文香『君に目があり見平かれ』、梟だけではないのかもしれないが、毛を膨らませた時には大きさがずい分ちがう、最近、ペットで飼われ肩に留まっている梟を見た時にそう感じた、この句も平仮名書きでふわふわした梟) 12.1


・ 一対(いつつい)か一対一か枯野人
(鷹羽狩行『平遠』1974、「広い枯野の遠くに人が二人見える、互いに少しだけ離れている、一緒の人たちなのか、別々の人たちなのか」、人はそばに人がいても、それぞれが孤独なのかもしれない、街中ではなく枯野ではそれがよく分る) 12.2


・ 咳のノドひらけば女医の指はやき
 (寺山修司「山彦俳句会」1952、作者は高校2年生、咳がひどいので医者に行ったのだろう、口を開くやいなや、女医が指(か診察棒)をぐっと口内へ突っ込んだ、「指はやき」が上手い) 12.3


・ ふるぼけしセロ一丁の僕の冬
 (篠原鳳作1905〜36、作者は東大法学部卒だが、病弱だったため、故郷の鹿児島に帰り、中学校教員をしながら新興俳句運動に参加した、無季俳句も作り、30歳で夭折、代表句は「しんしんと肺碧きまで海のたび」) 12.4


・ しんしんと寒さがたのし歩みゆく
 (星野立子『立子句集』1937、作者1903〜84は虚子の次女、率直での伸び伸びとした句を詠む人だが、この句は、「歩みゆく」と最後をさりげなくポツンと切ったところなど、みごとな叙法と山本健吉氏の評) 12.5


・ 永久に輝くことなき過去なれば仄(ほの)かな影をいちじるしくせん
 (坂口弘坂口弘歌稿』1993、作者1946〜は連合赤軍事件で逮捕され、死刑判決を受く、獄中で作歌、朝日歌壇に投稿した、連合赤軍事件を当事者として記録した『あさま山荘1972』(上・下・続)もある) 12.6


・ 雪の上にいでたる月が戦死者の靴の裏鋲(うらびょう)を照らしはじめつ
 (香川進1938、作者は満州ソ連国境のハーソン湖事変にてソ連軍と交戦、その戦場にて詠んだ歌、月はまず死者の「靴の裏鋲」を照らす) 12.7


・ 世界大戦の渦なかに身みづから突入せむとする勇猛はいはじ
 (南原繁『形相』、昭和16年10月、東条内閣の成立を憂える歌、その後、真珠湾攻撃の日の驚愕の歌が続く、今日12月8日は真珠湾攻撃の日) 12.8


・ 冬すでに路標(ろへう)にまがふ墓一基
 (中村草田男、「冬の田舎道を歩いていると、すっかり古くなって路標と見間違うようになってしまった小さな墓が、ぽつんと道端にある」、「冬すでに」でいったん切れることが、この句を名句にしている) 12.9


・ 祖父の世の木臼(きうす)おほ寒(さむ)小寒来る
 (飯田龍太1975、祖父の代からの木臼が作者の家にある、むかし幼少の頃、その木臼で祖父や父が餅つきをしたのだろうか、子どもたちがわらべ歌「おおさむ、こさむ」を歌った記憶もある) 12.10


・ 馬ゆかず雪はおもてをたたくなり
 (長谷川素逝(そせい)『砲車』1939、作者1907〜46は砲兵少尉として中国戦線に従軍した、その時の句、馬が動けなくなっているのだろう、激しい雪が馬の顔をたたく、簡潔だが厳しい戦争句) 12.11


・ 冬晴れのように寂しい暖かい遠いあなたと一年暮らす
 (山口文子『その言葉は減価償却されました』2015、大学を卒業した作者は、彼氏と一年間一緒に暮らした、「冬晴れのように寂しくて、暖かくて、遠い」彼氏と一緒に) 12.12


・ 唇で歌う讃美歌なにもかも間違ってしまいそうな予感に
 (鈴木晴香『夜にあやまってくれ』2016、誰かクリスチャンの友人の結婚式か、それともお葬式かクリスマスか、まったく歌詞を知らないのでメロディーだけを合せて「歌う」讃美歌、誰にもある経験だが、面白く詠んだ) 12.13


水球(すいきゅう)にただよう小エビも水草もわたくしにいたるみちすじであった
 (井辻朱美『吟遊歌人』1991、球形の水槽を見詰めているのだろうか、そこに漂う小エビや水草は、地球上の長い進化の過程で、我々ヒトが過去に通過してきた姿でもある、作者は理学部生物学科卒業の人) 12.14


・ 家族にはアルバムがあるということのだからなんなのと言えない重み
 (俵万智『チョコレート革命』1997、作者が恋愛中の男性にはすでに妻子があった、そのアルバムを彼と一緒に見ているのだろう、「だからなんなの」と言えない辛さ、「重み」と受けたので詩になった) 12.15


・ 西吹ケば東にたまる落葉かな
 (蕪村1769、「昨日は強い西風が吹いて、残った木の葉はみんな落とされてしまった、今日になってみると、落葉は、まるで箒で掃いたように、東の隅に、静かにしっかりかたまっているなぁ」、即物的だが、かすかなユーモアが) 12.16


・ 菊の後(のち)大根の外(ほか)更(さら)になし
 (芭蕉、貞享〜元禄年間、「菊の花が終ったあとは、見るべき花なんてないと昔の人は言ったけれど、われわれの畑には花ならぬ立派な大根があるよ、真っ白な美しい大根が」、ユーモア句) 12.17


・ 切株(きりかぶ)の茸(きのこ)かたまる時雨かな
 (一茶1806、「初冬の冷たい雨に、切り株の周りに生えた茸が打たれている、ふつうなら独特の生命力を感じさせる茸だが、どうしたわけか小さくちぢこまって「かたまって」いる」、「かたまる」という表現がいい) 12.18


・ 故人(ふるびと)はとほき電話にこゑ寂びて三十年交はりの範囲もうつる
 (上田三四二1987、「故人」は旧友の意、「三十年ぶりに旧友と電話で話しをした、ぼそぼそと寂しげな彼の声がとても遠い、三十年も会っていなかったことが悔やまれる」、作者もそれから二年たたずに逝去) 12.19


・ 切り炭の切りぐちきよく美しく火となりし時に恍惚(くわうこつ)とせり
 (前川佐美雄、作者1903〜90には戦後、歌が詠めない鬱々とした時期があったが、1953年の元旦、この歌を詠み、「そうだ、俺は燃えなくてはならぬ、猛々しく人生現実と斬り結ばねばならぬ」と気付き、歌人として復活した) 12.20


・ 部屋ふかくさす冬の日をかうむりて睡(ねむり)に似たる楽しさを得つ
 (佐藤佐太郎1974、新築した書斎が完成したときの歌、もちろん眠ってなどいない、光がたっぷり入る明るい書斎がとても気に入って、そこにいるだけで嬉しいのだ、「睡に似たる楽しさ」が絶妙な表現) 12.21


・ 冬雲(ふゆぐも)のなかより白く差しながら直線光(すぐなるひかり)ところをかへぬ
 (斎藤茂吉1934、冬に割と多いと思われるが、太陽の光が雲の間から「直線」に差すのが見えることがある、「直線光ところをかへぬ」と動きを詠んで、情景が生き生きと描かれた) 12.22


・ 今までのことを/みな嘘にしてみれど、/心すこしも慰まざりき。
 (啄木『悲しき玩具』1912、死のしばらく前の病床の歌、この二つ前には、「もう嘘をいはじと思ひき ― /それは今朝 ― /今また一つ嘘をいへるかな。」とある。「嘘つき」啄木から友人・知人たちは離れていった、深い悲しみが伝わってくる) 12.23


・ 生まれたての闇に転がるクリスマスツリーの電源につまずいて
 (穂村弘、「生まれたての闇」というのがいい、クリスマスツリーを作ったので、部屋の隅に今までなかった「闇」が生まれた、そこにあったコードあるいは小さなトランスにつまずいた、ツリーは光だけでなく闇も生み出す) 12.24


・ 物くれる阿蘭陀人(おらんだじん)やクリスマス
 (高濱虚子1899、何だか不思議な句、なぜ「阿蘭陀人」なのだろう、長崎に出島があったのは江戸時代のこと、その頃の絵があってそれを詠んだのか、それとも明治時代にオランダ大使館のクリスマス会?) 12.25


・ 四五年もお講(こう)に目立つ縁遠さ
 (『誹風柳多留』、「お講」は、真宗本願寺の大きな法要行事で、信者同士の見合いも大規模に行われた、派手に目立つ姿の同じ娘がもう四五年、見合い会に毎年来るのだろう、なぜ「縁遠い」のかと噂になる、「婚活」は今も昔も大変だ) 12.26


・ あの男この男とて古くなり
 (『誹風柳多留』、「娘が見合いで、あの男は嫌、この男はダメと選り好みするから、婚期を逃してしまった」、いいじゃないの、嫌な男と結婚するくらいならば独身を選ぶのは、現代娘だってそうだもの、「ええ、独身ですが、それが何か?」) 12.27


・ 一生に一度わが顔見ちがへる
 (『誹風柳多留』、これは婚礼の日を茶化したもの、当時の婚礼は現代の披露宴のようなものだが、せい一杯お化粧したのだろう、普段とは見違えるように美しい顔になり、とても自分とは思えない、と) 12.28


・ 数ふれば年の残りもなかりけり老いぬるばかりかなしきはなし
 (和泉式部『新古今』巻6、「あら、数えてみれば、今年もあと僅かしかないじゃん、あーぁ、年取るってやーね、そりゃ悲しいわよ」、昔は皆が揃って新年に一つ年を取った、これを詠んだのは作者の晩年ではないと言われる) 12.29


・ おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる
 (西行『新古今』巻6、「こちらから何も言わなくても、ひょっとしてぶらりと尋ねて来てくださるかな、なんて思いながらお便りをさぼっているうちに、年の暮になってしまいましたよ」) 12.30


・ 何ごとを待つとはなしに明け暮れて今年も今日になりにけるかな
 (源国信金葉和歌集』巻4、「とりたてて何かを待つということもなく、漫然と毎日を過ごしてしまったけれど、いやぁ、今年もついに大晦日になってしまったよ」、作者の源国信(くにざね)は平安後期の歌人、みなさまどうか良いお年を) 12.31