2005-01-01から1年間の記事一覧

永井均『私・今・そして神』(4)

[ゼミナール] 永井均 『私・今・そして神』 (04年10月、講談社現代新書) 今日はゼミの日。院生諸君の意見百出で、活発な議論が行われた。直観の鋭い人が多く、まさに「哲学に先輩後輩なし」(ヘーゲル)だ。その議論から。 (1) 永井は「今から5分前は客観的…

永井均『私・今・そして神』(3)

[ゼミナール] 永井均 『私・今・そして神』 (04年10月、講談社現代新書) 第1章3「50センチ先世界創造説」(p32〜39) (1) この節は難解で論理の展開が良く掴めないが、私なりにまとめてみたい。前節では「5分前世界創造説」が有意味であるように、その条件…

高橋哲哉 『靖国問題』(3)

[読書] 高橋哲哉 『靖国問題』 (05年4月、ちくま新書) 今回は、本書の紹介ではなく、私自身の見解を述べる。 (1) 本書の優れた考察の一つは、「靖国問題」と「日本人の非宗教性という仮象」との深い連関を指摘した点にある。江戸時代以前には仏教の熱心な信…

永井均『私・今・そして神』(2)

[ゼミナール] 永井均 『私・今・そして神』 (04年10月、講談社現代新書) 昨年の11月3日に、このブログに本書の批評を書いたが、その続き。この4月からある大学院の演習で、熱心な6名の院生諸君と本書を丁寧に読む機会に恵まれた。その進行に合わせて、本書…

高橋哲哉 『靖国問題』(2)

[読書] 高橋哲哉 『靖国問題』 (05年4月、ちくま新書) 前回に続いて論点のまとめ。コメントは次回に。 (4) 靖国神社の「超宗教性」の危険性。靖国は新憲法の政教分離原則に従って、やむなく「宗教法人」になったが、「国家神道」としての靖国の本質は、仏教…

高橋哲哉 『靖国問題』(1)

[読書] 高橋哲哉 『靖国問題』 (05年4月、ちくま新書) 優れた本なので、アマゾンに書いたレヴューを補って、問題をさらに考えてみたい。まず本書の重要な論点を抜き出す。私のコメントは一番最後に。 (1) 靖国神社は近代の国民国家の典型的なイデオロギー装…

歌舞伎・勘三郎襲名公演

[歌舞伎座] 4.14昼の部 『源太勘当』『京鹿子娘道成寺』『与話情浮名横櫛』 学科のオリ旅行なので、新入生をつれて歌舞伎鑑賞。『京鹿子娘道成寺』『与話情浮名横櫛』の二作は、中村勘三郎襲名披露で、華やいでいる。それにしてもこの三作の組み合わせは良く…

新国『フィガロの結婚』

[オペラ] 4.11 モーツァルト『フィガロの結婚』 新国立劇場 ドイツ人のアンドレアス・ホモキ演出。東フィル、平井秀明指揮。2003年秋の再演だが、細部が手直しされている。非常に問題の多い演出だ。前衛劇風の舞台は「何もない空間」で、床が大きく傾いた人…

黒テント『ロベルト・ズッコ』

[演劇] コルテス『ロベルト・ズッコ』 黒テント公演 神楽坂theatre iwato エイズで夭折したフランスの劇作家、ベルナール=マリ・コルテス(1948-89)の遺作(88年)。神楽坂へ移転した黒テントの新劇場こけら落とし公演。演出は佐藤信。非常に洗練されたスタイリ…

新国『コジ・ファン・トゥッテ』

[オペラ] 3.31 モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』 新国立劇場 現代では名作とされているが、初演以来約一世紀の間は人気がなく、あまり上演されなかったといわれる。筋が荒唐無稽だからか? 二人の男性が自分の婚約者の「女性の貞節」を試すために、戦…

四季『アンチゴーヌ』

[演劇] 3.21 アヌイ『アンチゴーヌ』 浅利慶太演出 劇団四季 自由劇場 これが最後かもしれないので、日下武史のクレオンはぜひ見ておきたかった。四季旗揚げ第二回公演『アンチゴーヌ』(1954年)以来、彼のクレオン歴は半世紀を越える。アンチゴーヌは野村玲…

『子供が減って何が悪いか』(2)

[読書] 赤川学『子どもが減って何が悪いか!』(04年12月 ちくま新書) 「子育て支援」の根拠はどこにあるのか? 子供は公共財か私的財か? (1) 本書の良いところは、「子供が減ってもいいじゃないか。それがどうした!」と堂々と開き直っている点である。少子…

赤川学『子供が減って何が悪いか』

[読書] 赤川学『子どもが減って何が悪いか!』(04年12月 ちくま新書) (1) 赤川氏は、「男女共同参画は少子化対策に有効」という通念を、統計の分析に基づいて批判する。この批判の部分が大きな話題になっている。が、その批判が正しいとしても、そこから「男…

二期会『魔笛』

[オペラ] 3.5夜の部 「魔笛」 新国立 演出は「ウルトラマン」の実相寺昭雄。旋律をもつ歌はすべてドイツ語で歌い字幕表示、語りだけの部分は日本語。『魔笛』は語りの「地の部分」が多いので、このやり方は成功している。パパゲーノが僧や老婆と交わす「痴話…

「踊るサテュロス」展

[展覧会] 2.27 「踊るサテュロス」特別展 東京国立博物館・表慶館 1998年にシチリア沖で魚網にかかった、紀元前2−3世紀のブロンズ像。2000年以上も海底で眠っていた実物を見た人はまだ少ないわけだ。ああ、美しい! これは少年の体だ。張った胸、開いた…

誓子(1)

[俳句] 山口誓子(1)「美学日誌」のはずだったが、どうも「論」に傾きがちで、好きな詩歌の私家版アンソロジーはなかなか進まない。ゆっくり読み返してからと思ったが、日誌の課題として「鑑賞」しながら読み返してゆきたい。好きだけれど、けっして真似ので…

A.ベルク『ルル』

[オペラ] 2.14 アルバン・ベルク『ルル』 D.パウントニー演出 新国立 直前に2幕版に変更になったが、3幕版に比べるとつまらない。そのせいか、客の入りが悪い。最前列中央の席で、オペラ鑑賞としては最適ではないが、演出や歌手の問題点がよく分かった。…

『脳はなぜ心を作ったのか』(3)

[読書] 前野隆司『脳はなぜ「心」を作ったのか』(筑摩書房、'04年11月) 人間とロボットの共生社会はありえるだろうか? (1) 前野氏は、未来の社会においては大量の「心をもつロボット」たちが人間と一緒に暮らし、ロボットの人権も大切にされるだろうと述…

『脳はなぜ心を作ったのか』(2)

[読書] 前野隆司 『脳はなぜ「心」を作ったのか』(筑摩書房、'04.11月) 「錯覚」という言葉で心身関係を表現してよいのか? (1) 前野氏は、心が外界を表象するのは「錯覚」であると考える。「錯覚」は本書のキーワードで、「あなたが自分の意志で目の前の…

『脳はなぜ心を作ったのか』(1)

[読書] 前野隆司 『脳はなぜ「心」を作ったのか』(筑摩書房、'04.11月)明晰で面白い本なので、アマゾンのレヴューに書き残した論点を。評者は、知覚に伴う<私>という「意識」が受動的に体験されるという前野氏の主張には賛成。だがそれは、「意識」が主…

演劇版・カフカ『城』

[演劇] 1.28 カフカ『城』 松本修構成・演出 新国立小H 松本修は、『ガリレオの生涯』『三人姉妹』『ワーニャ叔父さん』、そしてカフカ『AMERIKA』を観たので、これが五回目か。台本無しで、長編小説『城』の各場面のワークショップをやりながら、舞台を作…

上毛新聞に書いたコラム(2)

[上毛新聞コラム] 「視点」 1月26日掲載 男女とも欲求に変化が(未婚率はなぜ上がる) 植村恒一郎 女性のキャリアを考える上で、「結婚」の問題は避けて通れない。大学に入りたての若者も、自分の結婚について漠然とした不安をもっているようだ。講義で次の…

『思想史の中の臨床心理学』(4)

[読書] 實川幹朗『思想史のなかの臨床心理学』(2004,10月 講談社) 第四章 無意識の宗教としての臨床心理学 (1) 思想史をふまえて、臨床心理学に含まれる本質的な問題が考察される。それは、意識化の原理と、言語のもつ無意識性との齟齬である。分析者と患者…

映画 『シルヴィア』

[映画] 1.22 「シルヴィア」 2003、イギリス映画 シネスイッチ銀座 上智大学の補講の帰り、銀座に寄る。ロードショーを観るのは久しぶり。詩人シルヴィア・プラス(1932-63)の伝記映画だが、この種の映画の難しさを痛感する。夫でその後英国の桂冠詩人となっ…

『思想史の中の臨床心理学』(3)

[読書] 實川幹朗『思想史のなかの臨床心理学』(2004,10月 講談社) 第三章 「意識の国」の臨床心理学 (1) 19世紀半ばに生じた「意識革命」は、コントやミルの実証主義から、ヘルムホルツ、マッハなどにおける物理学の基礎としての感覚心理学、そして、ブレン…

『思想史の中の臨床心理学』(2)

[読書] 實川幹朗『思想史のなかの臨床心理学』(2004,10月 講談社)第二章 意識はどう扱われてきたか(1) 精神分析は、無意識を意識にもたらすことが治療に結びつくと考え、そのような「意識の役割」に特別な機能を認める。ところが、西洋の中世以来の伝統にお…

『思想史の中の臨床心理学』(1)

[読書] 實川幹朗『思想史のなかの臨床心理学』(2004,10月 講談社) 優れた問題を提起している貴重な本だ。アマゾンにレヴューを書いたが、その各論を連載する。Ⅰ 第1章 「意識の学」としての精神分析(1) 今、日本で急速に影響力を強め、制度的地位を確立しつ…

上毛新聞に書いたコラム(1)

[上毛新聞・コラム 「視点」] 2004年11月28日群馬県の地方紙である「上毛新聞」に「視点」というコラムがあります。二ヶ月に一度くらい寄稿するので、新聞刊行後、ここにも載せます。新聞社の了解も得たので、まず初回のコラムを転載。第二回目以降も、順…